□泡沫
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―――徳井、ごめん。ネタが覚えられへん…―――





泣きそうな声で福田がそう言った時、俺は少なからず驚いた。
だって、今までなら、本番の五時間前に初めて見せた新ネタだって、福田は何も言わずに完璧に覚えていたし。
福田が、そんな弱気なことを言うこと自体が初めてで、俺は動揺した。


最近、忙しかったし。全然寝られてないし。きっと疲れが溜まってぼーっとしてんねやろ。




安易にそう思った――。





福田がその時、どれ程追い詰められていたか。どれ程苦しかったか。それは今思えば、想像に余りあるというのに。

それやのに、あの時の俺は福田にひどい仕打ちをした。


寝不足でイラついていた俺は、追い詰められていた福田に、残酷な言葉を放った。


「そんなことじゃ困るで、福。たるんどるんちゃう?」


福田は項垂れて、ごめんと小さい声で謝った。




今までそんなことを一度も言うたことのない福が、あんなことを言うなんて、普通じゃないと、なんであの時、俺は気が付かんかったんか。

今、あん時に戻れるんやったら、おもいっきり自分を殴ってやりたい。







それからしばらくして、福田に異変が起こった。

舞台上でネタが飛ぶのだ。それも度々。

誰よりも努力家な福ちゃんはいつも一人で熱心に練習してる。
それに、やりなれたネタのはずなのに。
今までやったらありえへんことやった。


「福。どないしてん」

俺がそう言うと、

「最近、たるんどるんや。迷惑かけてごめんな」

と悲しく笑って見せた。


たるんどる。そんな訳がなかった。
昨日の夜も、福田は必死で台本を読み返し、稽古していたことを俺は知っている。

疲れとるんや。それだけや。きっと、たっぷり寝たらいつもの福に戻るはず。
俺は言い様のない不安感にひたすら、そう思い込もうとしていた。






それから、二週間もたたずに次の異変が起きた。


その日は、テレビの収録の仕事で、俺は楽屋で福田が来るのを待っていた。
いつもやったら、遅くても30分前には楽屋入りしている福が、今日は15分前になっても姿を見せなかった。

寝坊でもしたんかと、電話をしようと思ったその時、携帯の着信音が鳴った。

電話は福田からだった。


「福ちゃん?今どこにおんの?」
何気なく訊いただけなのに、返ってきたのは、意外過ぎる言葉だった。

「わかれへん」

「どういうことや?」

「わかれへんねん。どうやって局に行ったらええんか分からんっ…」

電話の向こうで福田はパニックに陥っている様子だった。
通い慣れた、局までの道で迷うとは信じがたくて、俺は一瞬息を呑んだ。

「福、落ち着きや。今、そっから何が見える?」

「銀行、マクド、ローソンが見える」

やはり、局のすぐ近くだ。
俺は不安に思っていたことが、徐々に具体化してくるのを感じた。

「大丈夫や。福、俺が誘導したるから、俺の言う通りに来んねんで?」

冷静さを完全になくした福田を電話で、必死に宥めた。

15分後、局にたどり着いた福田は、はた目から見て分かる程、色を無くして、唇を噛みしめていた。
「おはよう、福ちゃん」

わざと明るく、福田にそう声をかけると、福田は黙って右手で俺の肩を抱き寄せ、俺の胸に顔を押し付けた。

表情は見えなかったけれど、泣いているような気がしたから、安心させるように福田の背中に手をおいた。

「俺、もう駄目になる……」

圧し殺したその声は福田の悲鳴のように聞こえた。






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