書籍

□風邪
1ページ/3ページ



さっきから体が熱い。最近、寝不足やし、疲れで風邪でも引いたんかな。



福田は目の前に座っている徳井をちらりと見た。
煙草を吸っている伏し目がちな徳井は嫌味なくらいかっこいい。

福田は先日、この男に告白された。しかし、返事はまだしていない。


自分のとっている行動が中途半端だということは分かっている。
それにこの中途半端さが、どれだけ残酷なものか、福田は知っている。
それでも、素直になれない自分。

福田は徳井のことが嫌いなわけではない。
実際、徳井は長い間、福田の片思いの人だった。
それなのにどうしてすぐに返事ができないのか。


ただ、勇気がないのだ、と思う。


片思いの時間があまりにも長すぎた。

何度も悩んだ。
友達のままでいることが苦しくなったことも何度もある。
けれど、それでもいいから自分は徳井の横で漫才をしていたいと、覚悟を決めて今がある。
そして、もう、一生この想いは打ち明けることはないと思っていた。
もし徳井に彼女ができて結婚したりすることになったら、それを祝福してやる覚悟までしていたのだ。

それなのに、いまさら告白なんかされて、正直どうしていいか分からない。
そんな状態で素直になれるはずがない。


あと、一歩。それを踏み出す勇気がない。
友達とか、コンビとか今までのそういう関係を壊してしまうことが怖い。
その次に進んで、今までの関係を崩してしまうことが怖い。
恋人になって、徳井に幻滅されるのが怖い。
徳井の『特別な人』になって、捨てられ、永遠に関係が壊れてしまうぐらいなら、友達であっても今のコンビという関係のままでいる方がいい。


そんな気持ちがないまぜになって、徳井が返事を催促してこないのをいいことに、福田はは未だ返事をしないで、ずるずると今までの関係を続けている。


ああ、もう自己嫌悪。イヤな自分。
ざらざらとした感触で自分の心臓にほこりが積もっていくような不快感。息ができない。


「福ちゃん」

徳井が俺のことを呼んでる。返事せな。
ああ、でも体がだるうて頭が上げられへん。


「福ちゃん」

徳井が俺の肩をゆする。
頭が割れるように痛い。二日酔いかなぁ。昨日はそんなに呑んでへんねやけど。

「どないしたん。さっきからずっと黙ってるけど」

ようやく顔をあげると、ものが歪んで見える気がした。

「…ん、大丈夫。ちょっとだるいだけやから」

徳井が俺の顔を不審げに覗き込む。ああ、近いって。

「福田さん?大丈夫ですか?」

周りにいたスタッフも、俺の異変に気がつき始めた。


するといきなり大きな骨ばった手が、すっと、俺の額を覆った。
冷たい感触。気持ちいいなぁ。
それが徳井の手やと気付いたんは数秒後。

「アカン。こいつ熱あるわ」

徳井の声に我に返る。

「え、ホンマですか?ちょっと体温計どこかになかった?!」

ざわざわとし始めたスタッフに俺はあわてる。
こんなことで仕事を休むわけにはいかない。

「や、でも今から収録あるし、これぐらい平気ですって」


椅子から立ち上がった瞬間、目の前が真っ暗になった。
平均感覚がなくなり、どっちが地面かわからなくなる。
立ちくらみや。ふっと意識が遠くなる。


何か捕まるものを探して俺の手は宙をかいた。
倒れることをと覚悟したが、意外なことに大きな手で体を支えられる。

「大丈夫か?…まったくどこが平気やねん」

ああ、どアップの徳井の顔。

「あ、…おぉ」

「収録は抜けられへんけど、せめてそこで横になっとけ。今日は俺がいっぱいしゃべったるから、お前はひな壇にすわっとるだけでエエよ」

端が破れて黄色い綿がはみ出した革張りの茶色のソファに横になると、幾分楽になった。
そうするうちにスタッフが、どこから見つけてきたのか体温計と冷ピタをもってやってきた。
差し込まれた冷たい棒の感触に寒気が走る。

「…38度8分」

嘘みたいな数字。しんどいはずやな。

「福田、お茶飲め。水分摂らな、よけしんどいで」

楽屋に置いてある緑茶のペットボトルを徳井が差し出す。

「いらん。欲しくない」

「アホ。無理にでも飲め」

徳井が半ば無理やり、ペットボトルの口を、俺の口にねじ込んでくる。
いつになく顔つきが厳しい。

「…げっほ…ごほっ…」

むせながらも俺はようようお茶を飲み干す。
文句の一つも言いたいところだが、気力がなえて口を開く気にもなれない。

「福田さん徳井さん、本番でーす。福田さん、いけそうですか?」


「あ、大丈夫…です」

マネージャーの辻井さんが心配そうに眉をひそめながら、俺の額についた冷ピタをはがした。

「福ちゃんは座ってるだけでエエから」

俺の腕をつかんで、起きるのを手伝ってくれたあと、徳井が耳元で囁いた。
…顔が熱くなっているのは熱のせいにしてしまおう。

あと、二時間の辛抱や。

床をしっかり踏みしめてるつもりなのだが、ふわふわとしてまるで実態のない雲の上を歩いているようだ。

「歩ける?」

「大丈夫やって」
ほら、ちゃんとまっすぐ歩いてる。
…つもりだったが、徳井が後ろにいなかったら多分、壁にぶち当たってたやろな…。








次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ