◆TREASURES
□sugar girl 瀧澤さま 相互記念 小説
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早春の候、久方ぶりに雨が降った。
じめじめと肌が湿る心地がどうにも悪くて、隊服に袖を通すのを途中で止めた。洋服を仕舞い、和服に着替えを済ませた後、ある場所へ向かう。
……こんな時は彼奴の元へと足を運びたくなる。
「――あみ、居るかっ」
「!」
返事も待たずに戸を開けると、姿見の前で髪を梳くあみが目を丸くして勢い良く此方を向いた。
「…な、な、どどどどうしたんですか!?」
慌てる様子が滑稽で、思わず笑みが溢れた。すると「晋作さんが急に開けるから…」とむくれた声が返ってきた。
「もう…。こっちは朝から寝癖直らなくて苦労してたんですからねっ」
「良いじゃないか、寝癖」
可愛らしいと言えば、今度は真っ赤な顔で「良くないです!」と怒号を浴びせられる。
……全く以て此奴は面白い。
喉に込み上げた笑いを抑えつつ、とある提案を口にした。
「…なぁ、あみ。出かけないか」
「――…わぁ」
土砂降りですね、と呟く声は沈み気味だ。
目に映る光景は青く冷えた京の町。先程藩邸を出た時よりも雨足が強まり、屋根のある茶屋から出るのが億劫になってしまった。町を行く人も疎らで、俺たちは暫く呆然と雨を眺めていた。
「……………」
「……………」
あみが無言のままでいるから、俺もまた何も言わず傍らで茶を啜った。
……機嫌が悪いのだろうか。突拍子もなく外に連れ出したものだから…。
そんな事を気にしながら、ふと目線をずらし横顔を見る。するとあみもほぼ同時に此方を向いたものだから思わず肩をすくませた。
「……………ふふ」
俺の様子を見たあみが急に吹き出し、可笑しそうに目を細めて笑う。その顔に胸が跳ねた。……あぁ、これはまるで初恋のような感覚だ。好いた女子の顔色を窺っては一喜一憂し、その女が自分に笑いかけようものなら餓鬼のように胸を躍らせる。
「……は、」
遂には俺も笑い出す。
からからと爽快に響くあみの笑い声は、この胸中に蒼天を広げた。
「――…雨、今日はずっと降るのかなぁ」
一時弱まった隙を見て茶屋を出、傘を差し並んで歩く。
「さぁな…。なぁ、怒ってないか?」
「…怒る……、ってわたしが?」
一体何に?
どうやら怒っていないようで、首を傾げる仕草に人知れず安堵した。
「急に戸を開けた事、寝癖をからかった事、雨なのに外へ連れ出した事…」
つらつらと心当たりを挙げれば、傍らの女はまた吹き出した。
「やだ。晋作さん、気にしながら態とそんな態度取ってたの?」
「う……男は好いた女にちょっかい出したくなるもんだっ」
「……!」
正直に答えると、その可愛いらしい顔を赤らめ、更に愛らしい姿を見せ付けられる。惚けてじっと見つめると、恥じらうように視線を下へ流した。その反応が可憐で、だけどどこか色っぽくて。…どうしようもなく可愛がりたくなる。
「…あみ、良い事を思い付いた!」
「……えっ」
思い付いた、と言い終わるが早いか、あみを引き寄せ自らの傘に入れた。必然に此奴の手から落ちた傘を拾って畳み、持たせる。そうしなければ、空いた手を繋げなくなるからだ。
「…さ、」
行くか。
まだ呆然としている愛しい女の手を引き、何時もより緩い足取りで帰路を進んだ。
「………まったく、」
貴方らしいねと呆れた声は優しく掠れて。雨音を聴きながら寄り添う温もりはきっと、何時もなら俺の下心など爽快に一蹴してしまうのだろう。だけど、今はまだ繋いだ手を放さないで。
終