幸福論

□幸福論[
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……九尾は闇雲に走っていた。目的地などというものは九尾には無い。

目の前に道があるから走っていた。それだけのことだ。…いうなれば、道が途切れたその場所が九尾の目的地である。


九尾といっても、走っている九尾は本体……己の背中に背負っている少女の中にいるものがつくったそのもどきだ。

其れに思考は無い、つまり理性が無い。

…いうなれば本能の赴くまま本能のみで作られ、数本の毛と尾一つ分のチャクラをいれた妖術で言えば幼稚なものだ。
が、しかし、人間から見ればそうはいかないのだ。

その証拠に……




「何故だ!!何故九尾がここにいる!!」


「畜生!化け狐が殺された時封印が解かれたのか?!」


「人間の器の封印が解かれてしまえば、九尾は死ぬんじゃなかったのか!!」


「なら何故人間の器は何故今九尾にのっている?!」




それは脅威となっていた。

驚きと困惑、それは無知から生まれるものであった。……もしかすればこの世で最も恐ろしいものは『無知』なのかもしれない。

何故なら、人間が最も恐ろしいという『死』とは、死んでからの己がどうなるのか分からないという無知ゆえの漠然な恐怖からなるのだから………


九尾もどきはアスカの中へと意識をよせる。理性の役目をしている本体から指令があった。




【そろそろ、アスカの意識を戻す必要があるな……】




いくら九尾であっても、この世界で忍びに一生見つからずにアスカを守りながら生きていくのは非常に難しい…。

だが、少なくともアスカの命を狙うこの世界の忍びの者から逃れさせることは不可能ではない。

九尾は残された最後の手段を実行するために、アスカの中へと意識を集中させた。



─────






『…フフフフッ…フフ、フ…ハハハッハハ……同一の魂か…フフフ…』




片手で目を覆い、九尾の方を見上げながら笑い声が洩れる口元を歪める。
     
アスカは幸せそうに溜息を吐きながら手をどける。……その表情は、至福の微笑みを浮かべていた。




「アスカ…」




思わず九尾が小さくアスカの名を呼ぶ。……年相応の愛らしい微笑をうかべながら、アスカはそれに答えた。




『なぁに、きゅうび?』




木の葉の里での四歳児の話し方で、その表情で九尾に笑いかけた。

…まるで幸福に酔いしれているような鼻にかかる程甘い声色だった。妖怪である九尾にはありえないはずの寒気が襲う。

クスクスクスっと笑いながらアスカは『冗談だよ』と九尾を仰ぎ見る。…相変わらず鼻にかかる甘い声だった。


あの様に重い真実を知った上でのこの反応を、九尾は理解することができなかった。理解しようとも思わなかった。

だが、哀れにここまで狂ってしまった少女に嫌でも愛着などが湧いてしまっている己は、それ同等狂っているのかもしれない。

……妖怪のためその表現があっているのかよく分からないが…(そもそも妖怪に狂っているという言葉は使われるのだろうか…?)




『ハハハハハ…同一の魂に同じ時刻での死、四代目の口寄せに其れによる成り代わり…ハハハハハッ、運命としかいいようのない出来事だな…フフフフッ』



         
アスカはあまりの幸せで胸が一杯で、口元から自然に零れる笑い声に恍惚とした表情でまたため息を吐く。




それはもう『特別』だと言っているようなものじゃないか。


嫌でも口角があがる。…平凡で刺激ばかりを求めていたアスカの一番手に入れたいものを手に入れたのだから。


…自分でしかありえない確固たる存在にアスカはなったのだから。

…霞んでしまいそうなほど、他人の中に紛れ込み人の雑踏の中で溶け込むのが何より嫌だった。

個人がないのが嫌だった。どうでもいい存在になるのが嫌だった。

どんな形でもいいから、誰かの忘れられない人間になりたかった──…。




前世の私が幼かった時、ふいに考えたことがある。

あんなに悲しんでいた仲が良かった友達の引っ越しの後、数ヶ月もしたらその存在を忘れていた。

その友達をふと思い出して、“ああ、そんな人がいたな…“その時やっと忘れていたことに気が付いた。

人間なら誰しもあることだが、幼い頃の私には非常に衝撃的なことだった。




“あんなに仲が良かったのに!“

“あんなに悲しんでお別れしたのに!“




その友達の存在を忘れていたことも、そもそも忘れていたこと自体がが信じられなかった。恐ろしかった。

そして漠然とした不安と共に思った。“いつか私も忘れられるんだ“と思った。それがあまりにも嫌で嫌で嫌で…たまらなかった。


あまりの自分の存在の小ささが虚しかった。

………本当にそんなことがあるならば…幼い頃の私にとっても恐怖そのものだった。


それがどうだ。成人してからの私は平凡そのもので、幼い頃抱いたその恐怖を毛の先ほども覚えていなかったのだ。

それを死ぬ間際で思い出し、そして死んでからその虚しさから逃れる術を手に入れたのだから世話はない。


今まで怯え続けた恐怖から逃れることができたのだ。これを喜ばなくて何を喜ぶ?


アスカは微笑み、そして呟いた。




『九尾、私の体はどうなってる?』




と、俯きながら目をつぶる。…静かに瞼を上げた時、先程までの幸福に酔いしれ浮かれていたアスカの姿はなかった。

顔を上げて九尾を見据えるその瞳は、『生』に異常なほどの執着をみせる元のアスカの姿だった……───


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