月下氷華

□月の雫シリーズ 朧月―夜をゆくもの―
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夜の闇に隠れ平泉の町を静かにゆく者がいる。
黒い外套は彼の姿をより闇の中に沈め、
わずかな明かりだけで道行く者には決して見えない。

彼は己の姿を闇に隠すためにその外套に身を包んでいるのだ。
彼の瞳は見るもの全てを凍りつかせる冷たく剣呑な光を孕んでいた。

足音を消し気配を断ち、
まるで獲物をねらう獣がごとく夜の闇を行く。

彼がふとその足を止める。
そしてその瞳を細くして辺りの気配を伺う。
ほんのわずかに感じた違和感。

それが彼の足を止めさせたのである。
だが彼の周りにあるのは静寂。
風の音すらしない。

彼が感じることができるのは天空に冷たく輝く、
雲に覆われながらも微かな光を放つ朧月だけである。

彼は今一度辺りの気配を伺い、
そこに何も感じられないことを確認すると、
再び足を動かし始めた。

朧月の淡い光にその身を隠しながら彼は夜を行く。


「ここまでだな…」

「さすがは弁慶さんってとこ?」

「ま、そうだな」

望美は派手にため息をつくと、
お手上げという動作をする将臣を見上げる。


「これ以上は気づかれる…
まあ、この様子だとまた動くんじゃねえか?」

「間に合うといいんだけど…」

望美はその唇を強く噛む。
将臣は望美の頭をなでるとやさしく語りかけた。


「ま、そうあせるな。まだ時間はあるさ」

「わかってる…わかってるけど…」

望美の瞳に悲しい色に彩られた翳が浮かぶ。


「将臣くんも知ってるでしょ…?」

「仁王立ちのことか?
知らないわけないだろ…」

将臣は自分の世界で学んだ歴史を思い出す。

幾度もその知識のおかげで危機を切り抜けてきたのだ。
忘れるはずがなかった。


「うん…もし弁慶さんがそんな風になっちゃったら…」

望美は言葉を詰まらせ、今にも泣き出しそうな風情である。


「泣くなよ。そうならないためにこうやって弁慶の動きを追ってるんだろうが…
まだ始まったばかりだ…あせるな!わかったな?」

望美は将臣の言葉に小さく頷いた。


「とりあえず今夜はもう無理だ。帰るぞ」

「うん、わかった」

望美と将臣は弁慶の不穏な動きを感じ、
こうやって闇にまぎれた彼を追ってきたのだ。
その先に何があるのかを確かめるために…
だがどうやら弁慶のほうが一枚上手らしく
その追跡を断念せざるをえなかった。

今、弁慶に望美たちの動きがばれれば全ては水泡へと帰す。
望美と将臣は慎重に動くしかなかったのである。

それは悲しい歴史を作らないため、
弁慶のそして自分たちの命を守るための行動であった。
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