ブリキの歴史覚帳

□第十二話 瓦解
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ー…ゴトッ…








「では、故人の埋葬はこちらでさせて頂きます。」

「ああ…くれぐれも…よろしく頼む。」









「……。」

「うっ…信方…甘利……!!!!」

「…信繁、行くぞ。」




あれから数日後、板垣と甘利の亡骸は近くの寺で埋葬された。

泣き崩れる信繁に気を使いつつ晴信は寺の住職に深々と頭を下げ、この忌まわしい戦場を後にした。


戦に敗れ重鎮を失った晴信は悲しみに暮れる暇もなくやらなくてはならないことが山積みで、負傷した体をおして淡々と家臣や兵の立て直しを図っていた。



涙を流すことも感情を吐露することもなくただひたすらに板垣と甘利の穴を埋めようとする晴信の姿は、

武田の指導力が地に落ちていないことを強く示すと同時に、いつかポキリと折れてしまうのではないかと思わせる痛々しさも感じさせていた。



だがそれは晴信だけという訳ではない、武田の家全体、皆が二人の不在を上手く塞ぎきれないでいた。




ー…ザアッ…



「信繁。」

「……千代女。」






「あんたは何かあったらいつもここ、変わりゃしまへんなあ。」



千代女はそう言うと、目をゴシゴシとこする信繁の隣に腰を下ろした。

信繁の目は涙を流したのがはっきりと分かる程真っ赤になっており、信繁はそれをごまかすようにぎこちなく笑ってみせた。


「はは、男がメソメソとおかしいっすよね…兄上だってあんなに頑張ってるのに…。」


「…別にええんと違う。晴信様が立場上泣かれへんならその分信繁が泣いてあげたらええ。人が死ぬんが当たり前になって泣かれへん方が明らかにおかしいわ。」


「……。」


「それに信繁、天国は幸せかもしれへんよ。昨日隣にいはった人があっという間に死んでいくばっかり…こっちの世界は…地獄やもの。」


「千代女…。」


「せやかてあの二人にもう会えへんのは…やっぱり悲しいなあ…。」



「……うん。」















ー…カタン……



「なあ勘助よ…あの日、晴信様が俺を先鋒にしなかったのは村上義清が真田に恨みがあるから、俺が前に出れば集中砲火されると思ったからだろう?」

「…ああ。恐らくな。」







村上義清は過去真田と幾度も戦い真田の領地である小県郡を奪った男で、幸綱が先鋒を願い出ていた理由はそこにあった。

あの戦から戻りずっと口を開こうとしなかった幸綱だったが板垣と甘利の討死を聞き、手慰みに始めたを将棋を打ちながらポツリポツリとその心中を零した。



「俺は故郷を取り戻したくて武田に仕えたんだ…我が真田の城を取り戻すために。それなのに…こんな外様の為に譜代の重鎮失ってさ…あの方は全く…。」

「晴信様にとってはどちらも大切なんだ、民も足軽も家臣にも差はないのだろう…。」


「お前が惚れ込んだ理由が…ちょっと分かったよ。」



幸綱はそう言うと、フッと頬を緩めた。

そうして戦のあった上田原の方をじっと見据えると、何かを決意したように頷いた。



「勘助、俺は晴信様に拾ってもらったこの命、武田を守る為と村上義清を討つ為に使うと決めたぞ。そして義清から故郷も城も取り戻す。

稀代の戦上手と言われる義清、戦で殺せないのなら内側から…それしかない。」



「だが…そうは言っても、一体どうするつもりだ…今から内通者を送った所で今は義清も警戒しきりであろう。」

「勘助、俺には頼綱って弟がいてな。今そいつが属している所があるのだが…さあどこだと思う?」


「まさか…。」


その言葉に驚いたような顔を見せる勘助に、幸綱はニッと笑って言った。





「真田の戦の始まりだ…必ず村上義清の腹を食い破ってやる…!!!!」








悲しみ嘆く者、復讐に腹を決める者、失ったもののあまりの大きさに感情を殺す者。板垣甘利の死は、武田の皆の心に大小様々な変化を与えていた。

そしてそれは武田の当主である晴信もまた、例外ではなかったのであった…。




ー…パタパタ…


「晴信さん…大丈夫ですか?」

「こま…ああ、もうすっかり大丈夫だ。」



先の戦の大敗で晴信の体にもいくつもの傷が刻まれていた。

そんな怪我を心配するこまに晴信は安心させるように元気そうに振る舞っていたが、それが逆にこまを心配させていた。




「あまり無理しないでくださいね…?傷もまだ完治していないんですし…ですからもう少し…」

「ああ、心配をかけてすまぬな。でも今求心力を失う訳にはいかぬのだ…気持ちだけは有難く頂戴しておくな。」


「せめて次の戦はもう少し間を置いては…」


「そうしたいのは山々だがな……海がなく米作りに向かぬ我が地は戦がなければ家臣や民を食わせることも、褒美をやることも出来ぬ。休んでいる訳にはいかぬのだ。」


「…。」



「そんな顔をするな、こまがそばにいることで十分元気を貰っておる。な?」








晴信はそう言うとニコッと笑い、心配そうな顔を浮かべるこまの頭を大きな手でくしゃくしゃと撫でた。

ただそばに寄り添うことしか出来ないこまは、あの日戦場から引き剥がした晴信の今にも泣き出しそうな目だけが瞼の裏に焼き付いて離れなかった。



「晴信様、次の軍議の刻に御座います。」

「ああ、すぐに行く。」


「晴信さん…。」

「では、また後でな。」



そう告げて笑った晴信に、こまはただ黙って頷くしかなかった。


"そうしたいのは山々だが…我が地は戦がなければ家臣や民を食わせることも、褒美をやることも出来ぬ。休んでいる事は出来ぬのだ"



平和な時代に身を置いて生きてきたこまが今の晴信にかけられる言葉は本当に少ない、

だが戦を望んでいない人間が大切なものの為に戦をし、大切な者を失う。それはあまりにも…



こまがそんな事ばかりを考える日々がただ虚しく続いて行く中も、武田はまだ傷も癒えぬまま次の戦へと着々と準備を進めた。



戦はまた新たな怒りや恨みを生み新たな戦を引き寄せていく。



悲しきこの連鎖を晴信は生まれ持って課せられ死ぬまで続けていく、

それを知っているこまはどうすることも出来ないもどかしい思いに胸を痛めながら、去り行く愛しい人の背中を見送ったのだった。









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