ブリキの歴史覚帳
□第十一話 二本の柱
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それから数日、晴信と家臣団を交えての信濃攻略に向けての話し合いは着実に進められた。
次に向かうは武田家と同じ清和源氏の血筋でもある名族であり戦上手と名の知れた村上義清。難敵を前に度重なる議論を重ね侵攻を開始することとなった。
そんなある日、武田家には予想だにしない珍しい客が訪れていた……。
ー…パタパタパタ…
「……ん?」
「あ!こまさんこまさん!!ちょっといいっすか!!」
「信繁さん?」
突如慌てた様子の信繁に呼び止められたこまが振り向くと、信繁はなにやら小さな声でこまに耳打ちをした。
「あの…ちょっと来てもらってもいいっすか…?兄上が結構困ってるみたいで…。」
「困ってる?」
「そうなんっすよ。あの人達…知ってるっすか?」
信繁がこまを連れて指差した先に目をやると、それは今朝の朝礼で見たばかりの含みのある笑顔を浮かべる人物だった。
「あっ……東間さんに…雲母さん……!?」
「おや、どうもご無沙汰致しております。こま"様"。」
「……ど…どうも。ご無沙汰致しております…。」
(様って…嫌な予感しかしない。)
晴信の前にかしずき頭を下げていた東間と雲母はしらじらしい程丁寧にこまに頭を下げると、またあの仮面のような笑みを向けた。
「こま、この者らと知り合いなのか?」
「えーと…知り合いといいますかあの盗賊事件で尾張に連れて行かれた際に会っただけといいますか…。」
「……。」
「……。」
(何を考えてここにいるかさっぱり分からないから返答の正解が分からない……!!)
東間の腹の読めない笑みを向けられ困惑しているこまの様子を察した晴信は、怪訝そうな顔で東間をじっと見据えた。
「此度は文でもお伝えしておりました通り織田家当主信秀様より武田家との友好を築きたいとの意を伝えに参りました次第でございます。」
「確かにそのような文をもらってはいたが返答は保留していた筈であろう。」
(織田と武田の友好関係…ああ、そういう話だったんだ…。)
「何故今そのように焦っておる。信秀は病にでも侵されたか?」
「いえ、滅相もございません。」
「……。」
晴信と東間の間には穏やかに会話をしているように見えても、こまも思わず背筋が凍る程どこかピンと張りつめた空気が漂っていた。
人を見る目や交わす言葉が命取りになりかねないこの時代、最善の一手一手を慎重に指すような二人の対話をこまは固唾を呑んで見守った。
「信秀公は勿論次期当主となる信長様も甲斐武田家は天下を治められる名君であると評しておられます。その尾張は美濃と同盟関係にありその尾張と手を取れば上洛も苦もなく叶いましょう。」
「上洛…か。」
「……。」
東間の絡め取るような流暢な物言いと輝かしい未来予想図に、その場にいた誰もが息を呑むのが分かった。
だがただ一人、武田が天下を取ることはない事を知っているこまだけは、その東間の言葉に顔を歪ませていた。
(武田が天下を取れないって分かった上で言ってるんだ…やっぱりこの人…腹が立つ。)
だがそんな怒りに震えるこまの耳に飛び込んできたのは、そんな怒りに油を注ぐような寝耳に水の言葉だった。
「かくしては通例通り婚姻関係により同盟を結べたらと考えております。次期当主の信長様の奥方様に…こちらのこま様を如何かと。」
「へ……?わ…私!?」
「な……!?」
「武田家に姫君がおらぬのは承知の上です。ですが信長様は先の一件でこま様のことをいたく気に入られたようでございまして、血縁関係でなく不利な同盟となろうとも構わないとの事でした。
信長様には既に美濃との同盟で帰蝶様という奥方様がいらっしゃいますので側室という形にはなりますが…」
(の…ののの信長さんまだ諦めてなかったのーーーー!?嘘でしょ……いや、でも待って。何で…?)
突然の展開にパニックになり慌てふためきながらも、こまは自分の方にニコリと笑顔を向ける東間へのひとつの疑惑が浮かんでいた。
ここで私が武田を離れることになればキーパーとして武田家での仕事ができなくなる、東間はその事を分かった上でこの提案をしているのだということ。
いや、もしかしたらその事が一番で、自分や御幸から武田家を奪う為なのではないかと気付いたこまはわなわなと怒りに震えていた。
(この人もしかして…自分の為だけに言ってる…?)
だがそんなこまの隣で静かに東間の言葉を聞いていた晴信は、淡々とした口調で東間に言葉を返した。
「こまを気に入っただと…?信長の小僧が笑わせる。」
「は…晴信さん……。」
「この話は無かったことに。こまを嫁に出すなど、以ての外だ。」
「何故です?血の繋がりもない姫君一人で上洛ヘ道が開けるというのに?」
「口を慎め…上洛の途は自分の力で切り開く、その前に立ちはだかるならば容赦はせぬ。」
「それと私も人を見る目は持っているつもりだ、おぬしの目は腹に一物抱えておる目…そのような者の口車に乗るほど武田は浅はかではない。覚えておけ。」
晴信は静かに怒りに満ちた声色でそれだけ告げると、交渉決裂だと言わんばかりにその場を立ち去ってしまった。
取り残された東間と雲母は表情を変えること無く深々と頭を下げると、仕方なくその場を後にしたのだった…。
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ー…ギイッ…
「こまさん。」
「えっ…あ、雲母さん…。」
東間が謁見を終え部屋を出た後、こまに声をかけたのは終始東間の背後で黙っていた雲母だった。
雲母は無表情ながらも少し申し訳無さそうな顔を浮かべると、こまに頭を下げた。
「雲母さん…どうしたんですか…?」
「ごめんなさい。東間と織田のこと、許して欲しい。」
「え…?」
突然の雲母の謝罪にこまが目を丸くすると、雲母はポツリポツリと言葉を続けた。
「本当は信秀様からの武田と友好関係を築きたいとの言伝だったの。
信長様のお父上である信秀様はもうそう長くない…後継ぎの信長様がああだから心配して周りの大名に友好関係を築こうとしてただけなのに、東間が婚姻の話を付け足したの。」
(やっぱりそうだったんだ…おかしいと思った…。)
「あなた達八雲班から武田家の担当を奪おうと暴走する東間を止められなかった…東間も本当はこんなに自分勝手な事をする人じゃないの…本当に、ごめんなさい…。」
「……雲母さんが謝ることじゃないですよ!晴信さんは断ってくれましたし…きっとこれからもその提案を受けることはしないでくれると思います。」
「信頼しあってるのね…武田晴信と。」
「えっ!?あー…えーと…私は信頼していますけど…改めて言われるとその…そうなのかな?」
「羨ましい。」
そう言って少し微笑んだ雲母の顔は酷く痛々しく寂しげで、今にも消え去ってしまいそうな儚さをまとっていた。
そんな雲母を心配したこまは、ずっと聞けずに気になっていた事を思い切って尋ねた。
「どうしてそこまで辛い思いをして東間さんの味方でいるんですか…?それは旧型のアンドロイドだから…っていう理由だけじゃないですよね…?」
「……どうしてそう…思うの?」
「えーと女の勘、です。」
こまの予想外の間抜けな答えに少し微笑むと、雲母はこまにくるりと背中を向けた。
「本当は私を誰よりも大切にしてくれる優しい人なの。あの笑顔がもう一度見れるなら…何だって辛くない。」
「え……?」
「それじゃあ、また。」
雲母は振り向くことなくそれだけ言うと、足早に東間のもとに戻っていった。
雲母の言った言葉の意味が理解しきれなかったこまは、ただその遠ざかっていくか細い背中を見つめていたのだった…。
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