ブリキの歴史覚帳
□第九話 うつけと人魚
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「はあ……。」
晴れぬ気分のまま晴信の元に戻ったこまは、悶々と廊下を行ったり来たりしていた。
(晴信さんは私を正室にしたいって言ってた…日陰者にしたくないとも言ってた…でもそれって裏返せば一番だけど妻にするのは私一人じゃないってことなのかな…。)
(でもこの時代の正室は基本同盟関係や家との繋がりの強化に使われるのが一般的って蛍さんも言ってた…じゃあ私はそもそも正室とか無理なんじゃ…?)
(いや、そもそも正室になった所で…何十人も側室作られて私冷静にいられる?それならもういっそ結婚なんて難しいんじゃ…)
「ああああああ頭痛くなってきた!!!!!!いい!!私は晴信さんを信じる!!!!!!!!!!!」
こまはそう言って自分を納得させるように言い切ると、不安を拭い去る為に晴信の部屋へ向かった。
だがそこでこまが見たものは、予想もしない光景であった…。
ー…パタパタパタ…
「晴信さん!あの…!!」
「おお、こま!どうした?」
「あら…どちらさん?」
「・・・・・・えーと…?お邪魔しました…?」
襖を開けた先にこまが見たのは、晴信と晴信の肩にしなだれかかる妖艶な美女の姿だった。
こまは自分の頭がこの現状を整理できぬまま、現実から逃避するようにすぐさま襖を閉めた。
(え…?え…?え……!?えええええええ!?すでに第二夫人きたーーーー?いや…そもそも私が第二夫人だったりする!?)
「こま!!一体どうした?」
急に襖を閉めたこまの後を追い襖を開け部屋から出てきた晴信は、逃げようとするこまの腕を掴んだ。
「あ…は…晴信さん…いえ…あの…私お邪魔じゃ…」
「邪魔?なぜだ?」
「いやだってその…あの女性は……。」
こまはなおも座敷の奥に見える女性の姿を気にしながら、ためらいがちに晴信を見上げそう尋ねた。
晴信がその問いに答えるよりも先に襖の奥から出てきた女性は、こまの前にかしずき深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります、武田家抱えの巫女をしております望月千代女(モチヅキ チヨメ)と申します。」
「みっ…巫女…?」
「ええ。」
「千代女は幼い頃から歩き巫女として各地を行脚しながら、忍のように様々な情報を武田家に伝える役目をしてくれているのだ。」
「ふふ…よろしゅう頼みます。」
「よろしく…お願い致します……。」
(うっ…美波さんレベルに綺麗………。)
そう言って笑った千代女はとても妖艶で美しく、その美貌にこまは負けを確信しあっさり圧倒されていた。
だがそんな事は全く気に留めていない様子の晴信は、気圧されるこまの背に手を当て照れくさそうにこまを千代女に紹介した。
「ゴホン…で、えー…と、こちらがわ…私とめ…夫婦約束をしておるこまだ、千代女も以後宜しくしてやってくれ。」
「……!!は…晴信さん…。」
「………あら、うちがおらんうちに晴信様にそんなお人が出来てらっしゃったとは…どこかのお姫様なんどすか?」
「い…いえ…私は……」
「へえ…?では…」
「千代女、お前が詮索することではない。こまは私の命の恩人で大切な人なのだ、そんな事は関係なかろう。」
「これはえらい失礼致しました…。」
「千代女、もう下がって良いぞ。」
「……。」
(…晴信さん…かばってくれた…。)
晴信の言葉にこまが顔を赤くしながら晴信を見上げると、当の晴信もこま以上に顔を赤くしており二人は互いに顔を見合わせて笑った。
だがふと感じた突き刺さるような視線にこまが顔を上げると、千代女は笑顔で静かに部屋を後にしたのだった。
「……。」
「さて……こま、何を黙り込んでおる。」
「……いえ…その…。」
「うむ。」
「千代女さんが巫女さんってのは分かったのですが…それにしては…距離が近いんですね〜…って思ったり…思わなかったり…。」
「距離?」
こまが照れつつしどろもどろになりながらも告げた言葉に、晴信は少し考えるとああと納得したように頷いた。
そして隣で頬を赤くし唇を尖らせるこまを、この上なく愛おしそうに抱き寄せた。
「すまぬ、千代女は幼い頃に父に拾われ一緒に育った故近くにいることが当たり前で気にも留めていなかった…。禰々と同じで妹のような感覚で…いや。」
「……。」
禰々の名前を口に出した晴信は、とっさに口をつぐみそれをごまかすように笑った。その瞬間、こまはつまらない事を言った自分を猛烈に後悔した。
「だが千代女のことを女として意識したことは一度もない、それだけは誓おう。」
「い…いえ!!私の方こそつまらないことを言って…すみません…!!」
「いや、いいのだ。ところでこれは…妬いてくれておると思って良いのだろうか?」
「へ…?ち…違います…!!」
「顔が違うと言うておらぬのだが。」
「ち…違うようなー…違わないような…」
「ははは!どっちだ!!」
「………そんなの…決まってるじゃないですか…。」
抱き寄せられた晴信の着物から感じたいつもとは違う白檀の香り。
聞こえるか聞こえないかの言葉を呟いたこまは、胸をざわつかせるその香りを振り払うように晴信の胸に顔を埋めたのだった…。
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ー…パタン…
「………。」
「あ、千代女?戻ってたんっすか。」
「……信繁。」
晴信達のいる部屋の外で立ちすくんでいた千代女は、聞き覚えのある声に先程までとは違い怪訝そうな顔でゆっくり振り返った。
振り返った先にいた信繁はそんな千代女の様子に動じることもなく、楽しそうにケタケタと笑い声を上げた。
「相変わらずっすね〜たまには俺にも愛想振りまいてもバチ当たらないっすよ?」
「お生憎様、信繁に振りまく愛想は持ち合わせとりません。それよりちょっとどないなってますの?あのこまって娘は一体誰どす?」
「こまさん?」
千代女に物凄い剣幕で尋ねられた信繁は、こまと晴信が出会ってから今までの経緯を聞かれるままに話した。
だが話せば話すほど千代女の顔は曇っていき、話し終わる頃には千代女は顔をうつむかせていた。
「千代女は偶然ずっと会ってなかったんっすね。」
「そないなこと…じゃああの娘は晴信様に拾われてからずっとここにおると…?」
「拾われたというか…でもまあそんな感じっすかね?
こまさんは正室には難しいだろうって言われてたんっすけど、跡継ぎの問題もあるし、何より相思相愛な二人見てたら周りもいいかなーみたいな感じで…まあ決めるのは兄上っすからね。」
「何やそれ……。」
信繁の言葉に千代女は握っていた拳をさらに固く握りしめたが、顔はすぐに普段通りの穏やかな表情を見せた。
千代女と信繁は歳が同じこともあり昔から気兼ねなく話してきた故、信繁はその瞬間千代女の様子が変わったのを感じ取っていた。
「…千代女?」
「ま、うちには関係ないこと。当分は甲斐に留まるつもりやさかい、ほんなら。」
「……。」
そう言ってなんでもないことのように笑った千代女の言葉は、静かな怒気をはらんでいるようだった。
信繁は残された香りに懐かしさを覚えるとともに不穏な空気を感じながら、その背中を黙って見送ったのだった…。
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