ブリキの歴史覚帳

□第十三話 甲斐の雪化粧
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「人探し?」



あれから御幸に促されたこまは、戦国時代の甲斐を訪れていた。

だが蛍の件からここのところ晴信と会話をしていなかったこまは、その申し訳無さもあって萎縮しながら口を開いた。



「私の大切な姉のような人が先日甲斐で滑落事故にあって行方不明なままなんです…。凄く凄く綺麗で変わった西洋風の装いをしている女性で…手は尽くしたのですが私だけの力では見つけられなくて…!!」

「……。」

「は…晴信さんも毎日忙しいのにこんなこと言って本当にすみません…。探してくれとは言いません、なにか情報があれば教えてもらえると…」



「……こま。」

「…は…はいっ…!!」



晴信に頼るだけで尻拭いも出来ない自分の不甲斐なさと、今もどこかで苦しんでいるかもしれない美波への申し訳無さで、こまは終始顔を俯けていた。

だが低く響いた晴信の声にビクッと肩を震わせ顔をあげると、晴信は穏やかに微笑んだ顔を見せた。



「それは心配だな、急ぎ探させるゆえ案ずるな。」

「は…晴信さん…。」


「これから益々寒さが厳しくなってくる、戦がないのはよいが雪が深くなれば山を超えることも叶わなくなるからな…玄蕃、千代女いるか。」


「「はっ。」」


「それらしい情報がないか…当たってみてくれ。」




晴信の言葉に武田の忍である千代女と甚内は頷くと、すぐにその場から風のように姿を消した。

武田が抱える優秀な忍達が捜索に加わってくれたことを心強く思うと同時に、こまは申し訳なさで深々と晴信に頭を下げた。




「本当に、ありがとうございます…私事なのに忙しい晴信さんに頼ってしまって…すみません。」


「なに、もうじきここは雪と寒さという天然の要塞に囲まれて戦も出来ない。ちょうど忙しさも一段落といったところだ。それにしても、早く見つかるとよいな…。」


「はい…。」



そう言うと、晴信は薄っすらと白くなりつつある甲斐の山々に目を向けた。

相も変わらず荘厳と切立つ山々の何処かに美波がいるのかもしれないと思うと、こまの胸はぎゅっと締め付けられていた。




「…時にこま、気のせいかも知れぬが…最近私のことを避けてはいないか?」


「………へっ?」

「違うか?」


「あ…あの……それは……」

「それは。」


「う…えっと…あの……」



「「…………。」」








山に目を向け感慨にふけっていたこまは、突然の気まずい質問と顔を覗き込む晴信に思わずしどろもどろな返答を返した。



「私は…そんなに頼りがいがないか、こま。」

「え…?」


「一人で思い悩むなら何でも遠慮せず頼ってくれ…武田を立て直す事で手一杯になっている未熟者だが、好いた女は我が手で守ってやりたい。それとももう…こんな私のことは嫌いになってしまったか?」


「ち…違います!!」

「…!!」







晴信の辛そうなその言葉と表情に思わず抱きついたこまは、溢れ出る思いに晴信の胸に顔を埋めポロポロと涙をこぼした。



「嫌いになんてなるわけないです大好きです!!大好きに…決まってるじゃないですか…!!」


「こま…。」



本当のことを言えない辛さと同時に湧き上がるのは、晴信への愛しくてたまらない想い。

改めて言葉にしてみていつのまにか自分でも気付かないうちに膨らんでいた晴信への思いに、こまは晴信と距離を置くことがどれだけ自分にとって無意味なことかを思い知った。




「こま…触れても……いいだろうか。」

「……え?」


「えー……と…いや、なんでもない…。」



そう言って顔を赤らめて口ごもる晴信はまるで出会った頃から変わっておらず、こまはふっと頬を緩め晴信をもう一度強く抱き締め頷いた。



「こま…お前は…あたたかいな。」

「晴信さんもあったかいですよ。」



「今夜は冷える…もしよければずっと…そばに…いてくれないだろうか。」


「……それって…。」

「む…無理にとは…言わぬが…。」



「……はい。」



晴信のその困ったような笑顔に、こまは頷くという選択肢以外を持ち合わせていなかった。

このことは蛍にも、誰にも言わなければいい。たとえ今だけになろうとも、結婚を断ってそばにいられなくなったとしても、今だけは。



頭が破裂しそうなほどの悩みと葛藤が、晴信の温かい体温で溶けていくように感じて、こまの目からは涙がこぼれ落ちていた。

そんなこまの涙を拭い頬に触れた晴信もまた、今にも泣き出しそうな声で言葉をこぼした。




「こま頼む、お前だけは私を…置いていかないでくれ……。」









いっそのこと全てを話してしまえたらどれほど楽だろう。

すべてを捨ててこの時代で生きられたら、どれほど幸せだろう。


晴信からの口づけを受け入れながらこまの頭に浮かぶのは、夢も外聞も捨てたどれもこれも出来もしない願望ばかり。



晴信の願いの言葉を聞いたこまは初めて二人で過ごす夜がふける中、晴信の背中に回した腕の力をぎゅっと強めたのだった。






..........................






ー…ガサッ…


「どない思います?玄蕃はん。」

「……。」







晴信から密命を受けた千代女らは、早速美波を探すための情報を共有する為の話をつけていた。



「最近話題になっとった雪女が出たていうのも怪しいと思わへん?変わった出で立ち言うてたしそれが口伝で妖に変わったってのはよくある話…それに雪女は美人の象徴でありますやろ。」

「………。」


「まあうちより美人がそうそういはるとは思わへんけど。さしずめうちは甲斐の紅天女…」


「…………。」

「…………。」




歩き巫女として各地を回り情報を集める忍の千代女に対し、代々武田家お抱えの忍集団である透破の現頭領の瀬戸玄蕃は、極度の無口で素顔は晴信しかしらないという筋金入りの忍だった。

普段からそんな玄蕃を堅物と煙たがっていた千代女は、渾身の冗談もとい本気を無言で受け流されハアと諦めたように溜め息を吐いた。



「………アホくさ、透破と協力しよ思うたうちがアホやったわ。前の頭領の甚内はんも大概やったけどあんたはそれ以上やな。

情報共有した方が話が早いと思うたんやけどええわ、また今回もお互い別々ってことやな。じゃ…」



「………越後。」

「はっ!!?何やいきなりびっくりするやないの!!」



千代女が諦めてその場を去ろうとすると突然玄蕃がボソリと口を開き、千代女は驚き振り返った。



「越後の龍、長尾景虎が最近になって突然現れた美しい女を囲っていると。」


「なんやて…?」


「その女、出自も家柄も全て不明でその美貌に妖の類なのではと噂が持ち上がり家臣と景虎は衝突、家を割る抗争になりかけたと。」



「はは…まさに傾国の美女とでも言わはりますか…。」




家を割るきっかけにもなったという美女の逸話に千代女はあははと乾いた笑いを浮かべた。

だが玄蕃の言葉と妖の話がピンと一本に繋がったような気がして、二人は言葉無くとも互いに納得したように頷いた。




「相手は長尾景虎、越後に逃げたと噂される村上義清が景虎に会えば越後は武田に向けて兵を挙げるだろう…今は無用に警戒されたくはない。」

「そやったら透破よりは"うちら"が主に動いた方が動きやすそうどすな。」


「そうしてくれるか。」

「あら、透破がうちに頭下げはるなんて…明日は雪やろか。」



千代女はそう言って楽しそうに笑ったが、すぐに顔をしかめ玄蕃に尋ねた。



「……越後とも戦わはるん?武田は。」

「…私が知る由もない事。だが可能性は高い。」




「嫌やなあ……冬が明けたら、また人が死ぬんか……一生雪に包まれとったらええのにな。」




千代女はそうポツリと溢すと、言葉を濁すように暗闇にその身を溶かした。

その夜降り始めた雨は次第にその姿を白く変え、翌日甲斐の国は千代女の言った通り雪に包まれたのだった。







ー…ザッ…ザッ…ザク…




「……これ…は…。」










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