+*長編*+

□朱雀探偵事務所へようこそ!〜出逢い編・後篇〜
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「…君は一体、何の為にこんな事をするのだ」



光があまり届かぬ、ほの暗い倉の中。

芳幸は、目の前で笑みを浮かべながら佇む彼女を半ば睨む様に見上げた。



「何の為?さっきも言ったでしょう?沢井さん、あなたの心を手に入れる為だって」

「本気で言っているのだ?ならば、何故ここまで手荒な真似をする?オイラには別に逃げるつもりなどない」

「そうね、あなたの方から飛び込んできてくれたのだものね」



華音の入院沙汰があって以来、彼女の行動を単独で追っていた。

そんな中、華音の姉から事務所へ、華音の意識が戻ったとの連絡が入ったのがつい昨日の事。

まるでそのタイミングを見計らったかの如く、翌日の今日、事は急展開を見せた。

昨日までは特に動きを見せなかった彼女だったが、今日は忙しく何かの準備に取り掛かっている様子が見られた。

これは何かあると確信した芳幸は、勝負に出る事にした。

こちらから、わざと彼女に声を掛けたのだ。



『ちょっと良いのだ?君に話があるのだ』

『まぁ、何て奇遇なんでしょう。私もね、沢井さんにお話があるのよ。柊、葉月』

『『はい、お嬢様』』



彼女の声掛けに、後方でスーツを着込んだ若い男の二人が、芳幸との間合いを一気に詰め、羽交い絞めにされたかと思えば、後ろ手で拘束された。

そのまま近くに停めてあった車に乗せられ、此処まで連れて来られたというわけだ。

何やら準備していたのは、この為のものであったと踏んで間違いないだろう。


此処に来てから一度だけ、彼女がこの場から立ち去った隙に、拘束される直前、咄嗟に手元付近に手繰り寄せておいた携帯電話を使い、探偵事務所へ電話を繋げたものの。

無言で何かしらの状況を伝える為だけの連絡となり、そのまま切らざるを得なかった。


それから、どれ程の時間が経っているのだろう。

縄のようなもので拘束されている手に多少の痛みを感じ始めている事から、それなりの時間が経っているのか…。



「私だって本当はこんな事はしたくないのよ?でも、このくらいしないと、話を聞いてくれないでしょう?」

「…真剣に話すともなれば、ちゃんと聞くのだ」

「聞くだけでしょう?私の気持ちには応えてくれないのよね?あの子がいるもの」

「………」

「ほらごらんなさい。これで分かって貰えたかしら?あなたの為にこんな事をしているという事を」



話に終わりは見出せない。

そう思った芳幸は、別の話題に切り替える。



「…君は、知っているのだ?華音が今、どういった状態にあるのか」

「えぇ。知っている…というよりは、だいたいの憶測はつくわ。あのまま風邪でも拗らせて入院ってところかしら」

「そこまで分かって、何も感じないのだ?下手したら命に関わる事にだってなり得る。今だって面会謝絶なのだ」

「本当に面会謝絶なのかしら?」



今度は一体何を言い出すのか、彼女は。

一度彼女から逸らしていた視線を、再び厳しいものにして彼女に向ける。



「あの子が意図して面会謝絶にしているのかもしれないわよ?」

「そもそも、華音に何をしたのだ…いや、何を言った?」

「そんなに怒っては嫌、沢井さん。そういう所も素敵だけど…。私はね?別に本当の事を言ったまでよ?間違っていないわ。教えてあげましょうか」



口の端を僅かに持ち上げて、彼女が言葉を紡ぐ。



「身体が弱い華音よりも、私の方が沢井さんを幸せに出来るに決まっているでしょうって――ね?事実でしょ?」

「……君たちの間で何があったかは知らないが、そうやって過去にも華音を追い詰めたのだ?」

「ふふふ、頭が良いのね。でも、そうね…。あの子が勝手に思い込んでいるだけでしょ?中学の時も今も。
図星をつかれるような事を考えているから…そういう考えでいる所が嫌なのよ。言い返したければ言い返せば良いのに」



ふ…と、芳幸から顔を背けながら瞳を伏せる彼女にハッとする。

芳幸の中から、彼女への怒りと警戒心が瞬く間に消失していった。



「…君、本当は…」

「嫌だわ、私、こんな事まで話すつもりはなかったのに。華音が魅かれるのも分かるわ。でももう何もかも終わりにしてしまいましょう」



一瞬だけ見えた、彼女の本当の心を表すかのような表情は消え、これまでの不適な笑みを湛えたものへと戻る。

彼女の右手の中で、キリキリと薄い金属が擦れるような音が聞こえてくる。



「…何を…する気なのだ」



キラリと鈍く光を放ったそれを見て、芳幸は言葉を紡いだ。



「そこまでしたら、君の人生台無しなのだ」

「人生台無し?もう今更よ。華音に私の生活を乱されて嫌気がさしたとはいえ、私は一番酷いやり方であの子を裏切ったわ。
縁が切れても仕方ないと思っていたのに…完全には切れていなかった。しかも再会したら再会したで、同じ人まで好きになって。
何処まで繋がっているのかしらね、私たち」

「…どうして、華音に君の本当の気持ちをぶつけないのだ。
たとえ、それで華音が傷ついたとしても、真剣にぶつかれば、華音だっていずれ、君の気持ちにちゃんと気付ける時は来る」

「あの子には私しかいなかったのよ。今だったら…そうね、支えてくれる人もいるかもしれないけど。
中学の時の華音には、きっと私しかいなかったから。どちらにしても同じ事だったのよ」



カッターナイフをチラつかせながら、芳幸の目線に合わせる様に彼女がしゃがむ。



「君のやり方は間違ってる。もっと違うやり方もあるだろう」

「もう遅いの。あなたも私の知らなくて良い事まで知ってしまった。私は、あの子にとって永遠に悪者で良いの。
それを覆す気はないから、私と一緒にあの子の元から去りましょう?」



近づく彼女の右手を拒もうにも、これ以上に後ろに下がる事も出来なければ、拘束を解く事も出来ない。

どうすればこの状況から脱する事が出来るのか、何か手立てはないものか、思考を巡らせていたその時。

ガラガラ…と、倉の重たい扉が開き、光が差し込む。



「…誰…っ?」



突然差し込んだ光を眩く感じる中、動きを見せる影。



「茉莉…奈」

「…華音!?」



小さな声ではあったものの、確かにその声は芳幸の耳に届いてその名を呼ぶ。



「…あなたが呼んだの?」

「いや、彼女とは一切連絡を取っていないのだ」

「そうよね。出来るわけないものね。華音は自分の意思で来たのね」



芳幸にだけ聞こえるように紡がれた彼女の問いに答えると、彼女は今までとは打って変わって柔らな微笑を浮かべた。

だが、彼女は右手にカッターを持ったまま、芳幸の身体を自分の方へと引き寄せる。

光を遮りながら、四つの人影が倉の中へと入ってくる。



「軫宿…翼宿…魏…」



彼女が芳幸の傍から離れない限り、この状況は変わらないだろうが、己一人よりは仲間がいた方が、何かしら出来る事は増えるはずだ。

芳幸たちからは少し距離を置いた所で寿一が歩みを止めて、抱きかかえていた華音の身体を静かに降ろしているのが見えた。



「面会謝絶はあなた自身の計らいよね?私に図星をつかれて皆に合わせる顔でもなくなった?」

「…茉莉奈…沢井さんを放して」

「嫌よ。彼は私と一緒よ。一歩も引かないって言ったでしょう?」



華音が少しずつこちらへと歩み寄ってくる。


――私は、あの子にとって永遠に悪者で良いの。それを覆す気はないから、私と一緒にあの子の元から去りましょう?――


先程の彼女の言葉が頭を過ぎっていく。

彼女は自分が進むべき道を失い、自暴自棄になりかけている。

事は悪い方へ進んでいく一方だ。



「…駄目だ…華音っ…来るな!」



自分の自由が利かない今、事が起こってからでは遅い。


芳幸の言葉に、なのか、華音の足がピタリと止まった。

そうしてから華音は口を開く。



「…茉莉奈。私…私、ね。…芳幸さんに言われて気が付いたの…。四年前…茉莉奈が私の事を突き放してくれなかったら、私、きっと…
茉莉奈との関係に甘えたままだった。茉莉奈との事がなかったら、親との衝突もなかった…。
もし、あの時に自分がずっと心の内で思っていた事を家族にぶつけていなかったら…私、家族の前でも素直になれなかったと思う…。
茉莉奈には気付かせて貰った事が多かったから…感謝しなくちゃって…最近そう思えるようになったの」

「華音…」



す…と、華音の名を呟いた芳幸から、彼女が離れる。



「そう、感謝してくれるの。なら、沢井さんの事も譲ってくれるのかしら?」



彼女はしゃがんでいた姿勢から立ち上がり、華音を見据える。

彼女の言葉に、華音は首を横に振った。



「私も芳幸さんの事が好きなの。この想いは誰のものでもない…私のものだから。だから、身体を言い訳にして諦めたくなんかない。
その為に此処に来たの。簡単には引き下がれない」



華音もまた、彼女をしっかりと見つめてそう言葉を紡ぐ。



「ふふ。そうよ、そうこなくちゃ、ね。じゃあ、華音。このまま私と一勝負しましょ?私に勝ったら沢井さんはあんたに返してあげる」



彼女がゆっくりと華音の方へと歩み寄っていく。

その距離が残り半分ほどまでになった所で、彼女は駆け出した。

華音の事を傷つけてしまった、と、悔いている彼女がこれ以上華音を傷つける事はないと信じたい。

だが―――…。



「華音、彼女から逃げろ…!」



芳幸は叫んだ。







**§**




「…さすがにこれはまずいだろ!翼宿、井宿は任せた!」

「おぅっ」



華音の後方で魏と翼の会話が聞こえてくる。

華音の近くで様子を見守っていた寿一も、華音へと手を伸ばしてきたが、その手から逃れるようにして華音は茉莉奈の方に足を進めた。



「華音?」



名を呼ぶ声には答えず、深呼吸をして彼女の動きをじっと見つめる。

華音に向かってくる彼女の右手に握られているのは、カッターナイフ。

四年前、自分が思っていた事を茉莉奈に突きつけられ、自身を傷つけようとしたそれと同じ物。

それさえ彼女の手から取り去ってしまえば、怖いものなどない。



『あら、華音ちゃん。今日も見学?』

『だって、先生。わたしはだめなの。からだが弱いから』

『そう?いざとなったらね、人は自分が持っている以上の力を出せるのよ』

『……?』

『でも、そうね、見るだけでも為になるわ。華音ちゃん、これだけでも覚えておきなさい。
意識を落ち着けて集中させれば、いつも以上に相手の動きも良く見えるから。それを見切れた時が狙い目よ』



護身術を習いたいと言っていた姉に、その頃、小学校低学年だった華音もよく一緒について行っていた道場。

姉はしっかりと練習に参加し、技を身に付けていたが、華音はほとんど見学ばかりだった。

一度だけ、実践に取り組んでみた事はあったものの、やはりと言うべきか…案の定、その日の内に体調を崩す事となってしまい、それ以降は見学に徹底していた。

あの時は師の言っている事はあまり良く理解できていなかったが…。


見よう見まねではあるが、なるほど、今ならば出来るかもしれない。



「華音!」



自分の名を呼ぶ声は、誰のものなのか。

集中する意識の遠くの方でその声を聞きながら、華音は動く。

茉莉奈の右手が華音の近くまで迫ってきたタイミングで、身体を左へ僅かに避けさせる。

そのまま自分の左手で茉莉奈の手首を掴み、その部分へ右の手で手刀打ちを落とした。



「…っ!?」



茉莉奈の手から力が抜け、握られていたものが地面へと音を立てて落ちていった。

カラーン!という音が合図になったように、ふ…と華音の集中していた意識は途切れる。



「…やれば出来るじゃない」

「茉莉、奈…?」



身体から力が抜けていく感覚に身を委ねる中、茉莉奈との関係が壊れてしまう以前の彼女の柔らかな表情を、華音は見たような気がした。
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