サクラソウ

□七隈と姫
1ページ/1ページ

兄上に現れた水紋の眼。
あれが現れてから、兄上は海野家の正統となり、私は兄上の影となった。
同じ日に生まれ、同じ姿で、同じように育ってきたというのに、水紋の眼一つで私たちの運命はがらりと変わってしまった。

優れているのは兄上で、私は優れてはいない。
違うのは水紋の眼を持つか否かということだけのはずなのに。
その日以来、兄上の間に深い溝が出来た。


いや、私が作っただけなのかもしれない。


だが、割り切ることなど出来なかった。
同じ双子なのに、何故兄上が全てを持っていくのかと納得が出来なかった。

父上も母上も、優れているのは兄である六郎だと言う。
そう、あの日もそうだった。
信幸様たちが海野家を訪ねて来た日。
その時も、優れているのは兄上なのだと父上は言った。
信幸様も、優れている方を召抱えると。

けっきょくは、私たちが選ぶことになり、
どういう訳か、兄上はとても若様とは思えない成りの幸村様に仕えたいと言い出した。
そして、必然的に私は信幸様に仕えることになったのだが、あの頃は歓迎されているとは思えなかった。


しかし、私が信幸様に仕えることになったのだ。
あのお方に相応しい小姓になるために、日々努力を重ねた。
兄上に…あの人に負けないようにと。

そんな私を周りがどう思っていたかなど、気にはしない。
だけど、あの方は、双葉様だけは…誰よりも先に私を私と受け入れてくれた。
私よりも小さく幼い、姫君だけが…。










これは私と姫がまだ出会って間もない頃。
信幸様がまだ上田城にいた頃の話。


「はっ!」


今日の私の職務は終わった。
職務の後は、いつも鍛練を行う。
いつでも信幸様をお守りできるように、これだけはどこにいても怠ることなど出来ない。


「何を、しているの…?」

「!」


誰もいないと思っていた夜の道場。
振り返ると、そこには幼い姫君が入口からそっとこちらを覗いていた。


「貴女こそ、何をなさっているんです?起きていてはいけない時間でしょう。」


私は特に関心もなく、それだけを言って彼女から視線を外し、鍛練を続ける。
初めて会った時、彼女は私と兄上を認めないと言った。
信幸様たちが取られることが許せないと。
自分だけが信幸様たちの側にいたいのだと。

なんて幼い考え。
実際、十に満たない年齢の少女だ。
仕方がないのかもしれない。
だが、私たちが信幸様たちに仕えることは生まれた時から決まっていることだ。
先祖代々、定められた掟。
彼女もそれがわからないほど幼くはないはずだ。

知っていてもなお、あがいてみたかったといったところか。
甘い考えだ。


「あの…。」

「?」


部屋に戻ったと思っていた彼女は、まだ入口に立っていた。
どうやら、私が鍛練をしているのをずっと見ていたらしい。
申し訳なさそうに立つその姿が少しだけ気になって、彼女の側に歩み寄った。


「何でしょうか。私に何か御用ですか?」


嫌いならば関わらなければいい。
なのに、干渉しようとはどういう風の吹き回しだろうか。
しかし、彼女は信幸様の最愛の妹君だ。邪険にも出来ない。


「いえ…その…。」


彼女はどう切り出そうか迷っているようだった。
一体、何を言いに来たと言うのか。
しばらく待っていると、意を決したように強い瞳で私を見上げた。


「あ、あの!ご、ごめんなさい!!」

「え…?」


見上げたかと思ったら、彼女は勢いよく頭を下げる。
謝罪…?
何をしたというのだろうか。


「わ、私…初めて会った時、貴方方にひどい言い方をしました…。それを謝りたくて…。」


そのためにわざわざこんな夜中に、私を探していたというのだろうか。
まだ幼い彼女には眠い刻だろうに…。


「そんなことのために、わざわざ私を探していたのですか?」

「だ、だって…六郎は、いつも幸村兄上と城内にいるけれど…。貴方は、信幸兄上と城を出ていることが多いから…。」


確かに、信幸様は最近、城を出て職務を行うことが多い。
もちろん、小姓である私もついて行くのが道理だ。


「だから…今日しか、ないと、思って…。」

「気にする必要なんてありません。私のことなど、放っておけばいいものを。」


そうだ。私は信幸様のためにお仕え出来ればそれでいい。
彼女が気にするほどの人間ではないだろうに。
側には兄上がいる。
兄上がいれば、私は必要ないでしょう?

そう思ってふと彼女から視線を外した瞬間、パン!と乾いた音が道場に響き渡り、頬に痛みを感じた。


「なっ…。」

「そんなこと…そんなこと言わないで!」


驚いて彼女を見れば、瞳に涙を溜めて怒ったように私を見ていた。
何故?彼女に不都合でもあるのだろうか。


「どうして…そんな悲しい目で、悲しいことを言うの…?放っておけなんて言うんですか!?」

「双葉様…。」

「私は…貴方たちに嫉妬しただけ…。本当に申し訳なく思っています…。でも!もう、わかったから…貴方たちももしかしたら、好きでここに来たんじゃないかもって思ったから…。だから…少しでも、貴方たちと仲良く出来たらって思って…。」


そう言いながら、彼女はポロポロと涙をこぼす。
優れている兄上が側にいれば良いわけじゃないのだろうか。
私も、必要としてくれているのだろうか。
兄上の影としてではなく、一人の七隈という人として…?


「私も…必要として下さるのですか…?」

「え…?」

「兄上の影としてではなく、一人の人として…見て下さるのですか…?」


そう言って、彼女の頬に手を当てる。
暖かい彼女の温もりが手のひらから伝わる。
彼女は、驚いたように大きく目を見開いたが、すぐにその目は優しく細められた。


「はいっ…もちろんですっ…七隈…!」


そう言って微笑んだ彼女は、幼いながらもとても美しく見えて、私は思わずその小さな体を抱きしめた。


「ありがとう、ございます…双葉様っ…。」


一人の人として認めてくれたことがとても嬉しかった。
この日から、私は双葉様に惹かれていったのだ。







「七隈様、文が届いております。」

「御苦労。」


久しぶりに私宛の文が侍女から沼田城の私の部屋に届けられた。
差出人を見て、思わず笑みがこぼれる。


「双葉様…。」


信幸様が上田城を出て沼田城に移ることになってから、毎月のように双葉様は私宛に文を送って下さるようになった。
文といっても、恋文ではないのだけれど。
もう16になった彼女は日を追うごとに字も綺麗になり、人としても美しく成長した。
けれど、精神的には未だ幼く、色恋沙汰などはさっぱりなのだそうだ。
だから、手紙の内容は近況報告と言ったところ。
それでも、いつも私の身を案じて下さっていることがよくわかる。


「早々に、文を返さねばなりませんね。」


きっと、彼女は待っていてくれているだろうから。


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ