倉庫
□その名を呼んでいいのは
1ページ/1ページ
◇ ◇ ◇
「鬼現れる所に、『墨染の鬼』有り」
誰が言い出したのかは知らないが、人間達は彼をそう呼ぶ。
が、現世と冥府に居る鬼達は、彼を『篁』と呼んだ。
◇ ◇ ◇
雲と雲の隙間から月明かりが差し込み、黒い衣に身を包んだ彼を照らす。
それも一瞬の事で、風に流されている雲によって月光を遮られ、彼の姿が闇に溶けて見えなくなる。
彼は息を潜めて、じっと闇の中を見つめる。
しばらくして、風向きが変わり、ねっとりと肌に絡み付くような風が吹き、それと同時に、首から下げていた携帯のバイブが鳴る。
不愉快な風に眉間に皺を寄せながら、彼は携帯を開く。
画面には、メール受信の文字。
メールを開いて見ると、ターゲットの鬼が此方に向かっているとの事。
それを確認し、携帯を衣の下に戻す。
ターゲットは間を空けずに、彼の前に現れた。
ターゲットの鬼と、彼との間には、美しい袿を身に纏った一人の女性が、仰向けに横たわり、固く目を閉じている。
本物の女ではない。
鬼をおびき寄せる為に彼が作った人形だ。
鬼は何も疑う事無く人形に近付き、鋭利な手の爪で、彼女の首を引き裂く。
人形に仕込んでいた鬼の血が、辺りに飛び散り、鬼の顔や腹にも痕を作る。
彼はニヤリと口元を吊り上げると、右手で剣印を結び、術を放った。
「縛!」
鬼を中心に五芒星が張り巡らされ、鬼を縛る。
動けなくなった鬼はやっと彼に気付き、耳障りな咆哮を上げた。
「こうして対峙するのは久しぶりだな、片目の鬼。千年振りか?」
雲に隠れていた月が再び現れ、彼を照らす。
彼は鬼に一歩、また一歩とゆっくり近付きながら、腰に差していた刀を鞘から抜いた。
柄は銀色だが、刃は血の色。
その刀で、幾つもの鬼を狩ったのだろう。
『片目の鬼』と呼ばれた鬼は、初めて怯えた表情を見せた。
「千年前は未遂だったから、片目を落とし、冥府に送るだけで許してやったが、今回冥府から逃げ出したお前に、酌量の余地なし。悪いが、斬らせてもらおう。章子の血じゃなくて、残念だったな」
結界の中で鬼が暴れ、彼を睨む。
鼻で荒い息を繰り返しながら、鬼は恨みを込めた口調で、彼の本名を呼んだ。
結界の中に入った彼は、迷う事無く鬼を斬る。
鬼の血が舞うように飛び散り、彼は刀を払って、自身への血の付着を防ぐ。
彼の目は冷たく細められ、鬼が居た場所を睨んだ。
「鬼はビクつきながら、『篁』とだけ呼んでればいい。俺の名を呼んでいい鬼は、あいつだけだよ」
章子……。
◇ ◇ ◇
「鬼現れる所に、『墨染の鬼』有り」
誰が言い出したのかは知らないが、人間達は彼をそう呼ぶ。
が、現世と冥府に居る鬼達は、彼を『篁』と呼んだ。
◇ ◇ ◇
end
題材
創作題材T