蝶の王子様
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◇ ◇ ◇
その日は珍しく、父と2人っきりで散歩に出た。
珍しいどころではない。もしかしたら、初めてかもしれない。いつも、双子の姉も一緒だったから。
散歩と言っても、城の近くにある海岸に足を運ぶだけだ。
日が沈み始めて、空が優しい橙色になっていたのを覚えている。
いつもと変わらぬ夕焼け空なのに、その日はとても綺麗で、寂しげだった。
「きれいだね」と、父に語りかける。
父はクスリと笑って、「そうだな」と頷いてくれた。
繋いでいた手を、強く握られる。
夕焼けから父に視線を移すと、さっきまであった笑顔が消えて、厳しい表情に変わっていた。
「父上?」
首を傾げて、父を呼ぶ。
父は、僕と視線を合わせるように膝を折り、真っ直ぐ僕を見ながら、口を開いた。
「カイラ……。カイラはお兄ちゃんだから、父上の代わりに妹たちを守ってくれるか?」
「うん。いつも言われるから」
「また急にそんな事を言ってどうしたの?」と、僕は問う。
父は「そうだったな」と笑って、僕の頭をかき撫でた。
「頼んだよ、お兄ちゃん」
守ってあげて。
父の声が遠退いて、視界がぐにゃりと曲がる。
ぐわんぐわんと頭が揺れる感じがして、元に戻ったかと思えば、大きな雨粒が顔を叩いた。
ざばざばと、バケツの水をひっくり返したように降る雨。
大きな雨音に混じって聞こえる、女の人の笑い声。
雨粒の向こう側。見慣れた男性が、胸から血を流して、倒れていた。
その側にいる、黒い髪の女の人。
今すぐ、男の人に駆け寄りたいのに、意に反して、体が動かない。否、動けない。
動こうとすると、首筋に冷たい物が当てられる。
よく見ると、それはナイフだった。
男の人は微動だにしない。
女の人の笑い声は、まだ続いている。
とてもおぞましくて、憎たらしい。
その声をかき消したくて、何度も何度も叫んだ。
「ち、ちちうえ……っ!父上ー!」
◇ ◇ ◇
夢から逃げるように、カイラは目を覚まし、飛び起きた。
全身から汗が噴き出し、寝巻きの浴衣が肌にまとわりつく。
乱れた呼吸を整えていると、今見た夢を思い出して、目頭が熱くなった。
浮かんだ涙が溢れ、頬を伝い、ぽたぽたと掛け布団に落ちる。
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