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□神様がいない夏
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 先ほどまでの緩い空気は一転し、頭上にある晴天とは正反対の重たい空気がたれ込む。
 この空気にしてしまったのは千夏だ。

「えっと……あの……。あ、あなたは、夢とかありましたか…………?」

 少しでも淀んだ空気を入れ換えたくて、口を開く。
 開いてから、この話題は余計に空気を暗くすると気づいた。
 大切なものを置いていった人に投げる話題ではない。
 やってしまったと、頭を抱える。
 忘れてくれと言おうとした時、男が口を開いた。

「あったよ」

「…………!」

 答えてくれた事に驚いて、千夏は男を見つめる。
 男も千夏を見ると、口角をつり上げた。

「俺の家は農家だったが、俺自身は現在(いま)で言う郵便配達員になりたかったんだ」

「郵便屋さんに…………?」

「手紙には、人の想いが込められている。それを命をかけて届けるんだ。素晴らしい仕事じゃないか」

 ふぅっと、一つ息を吐き出すと、男は空に視線を向ける。
 見ている先にあるものは、青葉に遮られた夏の空ではなく、云十年も前に置いてきてしまった夢だと、千夏は悟った。

「俺の居た戦地(ばしょ)は、激化するまで本土から手紙が届いていたよ」

 手紙を届ける役割を持った人が居て、命をかけて送り先へ届ける。
 手紙だけではない。あの頃は、どんな物資も命がけで送っていた。
 今の時代では、物流を担うものたちを甘く見る人たちがいるが、物流が途絶えたらどうなるか。少し頭を働かせれば、わかるはずだ。

「毎度毎度、ちゃんと持ってきてすげーなーって思いながら、受け取ってたんだよ。敵戦機と出会した時も、命からがらな状態で持ってきてたな」

 当時はざっと血の気の引く話だが、今となっては記憶に残る出来事の一つである。
 からからと笑って語る男を、千夏は呆けた表情を見せて聞いていた。

「さぁーてと、そろそろお前の帰る時間だな。あんまり遅くなると、おかーさんとばあちゃんに小言ぶつけられるぞ」

「あ!」

 言われて思い出す。
 そういえば、今年は曾祖母の新盆だから、帰って来たら飾り付けを手伝うように言われているのだ。
 あまり遅くなると、男の言うように小言を漏らされる。
 勉強と暑さですり減った精神に悪い意味で小言はよく効く。
 ひったくるようにして、隣に置いていた鞄を掴み取り、鳥居の方に向けて駆け出した。

「千夏」

 男の声が、千夏を呼び止める。
 足を止めて振り返ると、男はにこやかに笑いながら手を軽く上げていた。

「気をつけて帰れよ」

「はーい」

 返事をして、再び駆け出す。
 鳥居を潜る寸前、二人で座っていたベンチに視線を向ける。
 ガタイの良い男の姿は、見当たらなかった。
 今日も、あの男の正体はわからず仕舞いだ。




「あらあら、おばあちゃんったら、こんな物を遺してたのね」

 家に帰ると、お盆の祭壇を飾る和室の方から母と祖母の楽しげな声がした。
 お盆の準備は順調に進んでいるようだ。
 千夏が襖(ふすま)の隙間から中を確認していると、気づいた母に手招きされる。

「見て見て、千夏。ひいおばあちゃんが隠し持ってた写真と絵手紙」

「写真……?」

「ひいおじいちゃんの写真よ。一枚も見当たらないと思ったら、おばあちゃん宝箱の中に大事にしまっていたみたいなのよー」

 祖母と母の間に、木製の小ぶりな箱が置かれていて、蓋が開いている。
 お盆の季節を迎えて、祭壇を作るために、曾祖母が使っていた部屋を片付けていたら、偶然見つけたそうだ。
 母が持つ写真と絵手紙を受けとる。
 絵手紙は云十年も前のものだ。水に触れたのか、ふやけた痕跡がある。
 絵手紙をしばらく眺めた後で、写真に視線を移した。
 結婚式の写真と、出兵する直前の写真。
 教科書で見たことのある軍服は、穴もあいておらず、糸も解れていない。新品で、生地にも張りがある。
 それを見に包んだ男は、しっかりとした体つきで、とても身長が高かった。
 写真を撮るのに緊張しているせいか、顔が強張っている。
 先ほどまで見ていた、柔らかな笑みとは程遠い。

「色男よねー」

「おばあちゃんがテレビの俳優を見るたびに、『お父さんの方が色男だった』って、言ってたものねえ」

 笑い合いながら、母と祖母は作業に戻る。
 もうすぐ、レンタル品の祭壇が運ばれてくるのだ。
 写真を見たまま黙ってしまっている千夏を、母が呼ぶ。
 一瞬間を空けてから、千夏はようやく気を取り戻した。

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