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□神様がいない夏
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◇ ◇ ◇
夏休みが始まって直ぐの頃。
蝉が大きく鳴いている日だった。
補習授業でがっつりと精神を削られ、連日の猛暑で体力もすり減らされた中、静かな場所でアイスでも食べようと思って、この神社に足を伸ばしたのだ。
小さい時。近所の子どもたちと集まっては、この社で遊んでいた。
鬼ごっこをしたり。かくれんぼをしたり。境内の隅にある戦没者の名前が刻まれた慰霊碑を眺めたり。
その慰霊碑に刻まれた名前の中から、自分と同じ名字を探すという遊びをよくしていた。
この日も、石に刻まれていた名前を眺めたのだ。
同じ名字が、十行並んでいた。
あの頃はこの慰霊碑と、書いてある名前の関係がわかっていなかった。
けれど、学校で歴史を学び、過去の教育を受けてから理解してしまった。
本来ならここに、名前が刻まれてはいけないのだ。
ここにある名字が、全て身内とは限らない。でも、身内以外の人であるとも限らない。
石に彫られた名前を、指先でなぞる。
刻まれた自分と同じ名字を見ては、この名前の人たちはどういう人で、どこにいた人で、誰の家族なんだろうと思いを馳せる。
千夏の家族は、この中にいるのだろうか。
ベンチに腰を下ろし、アイス片手に頭上の青葉のトンネルを見上げる。
男の声が耳に入ってきたのは、そんな時であった。
『今日もくそ暑いなあ』
びくりと肩を上げて、隣を見る。
この時代にそぐわない、教科書で見た事のあるボロボロの軍服。
軍帽を乗せていない頭は短い丸刈りで、体格のしっかりとした精悍な顔立ちの兵士が、だらけた姿で隣に座っていた。
座っていても、千夏が見上げるように首を動かさないと、男の顔が視界に入らない。立ち上がったら、千夏の頭を二つほど繋げないと目線が合わないだろう。そのくらい、男の身体はしっかりとしていた。
男の姿を観察した千夏は、その場でようやく硬直する。
男はその様子を呆れた顔をして見ていたのだ。
◇ ◇ ◇
「あなたって結局誰なんですか? 神様? それともカミサマ? 幽霊?」
「神も幽霊も、他人が後から勝手に決めつけた称号みたいなものだろう。俺は俺だ。他の何でもない」
間延びした口調で男は答える。
千夏は、ベンチの傍らに置かれているごみ箱にアイスキャンディーのごみを投げ入れた。
「じゃあ……成仏し損ねた地縛霊という事で」
「こらこら、勝手に決めつけるな。せめて暇人なおにいさんにしろ」
その言葉を聞いて、千夏の視線が湿っぽくなる。
「……暇人なんだ」
「そりゃあな……。云十年も人待ちをしてれば、暇人だと言われても仕方ないだろうさ」
背中に凝りがたまったのだろう。
軍服を着た男は、何でもない口調で告げたあと、荒々しい動作で伸びをした。
対する千夏はというと、男の言葉に少し目を開いてから、瞼を伏せた。
戦争で、家族を故郷に置いたまま旅立って行った者は多いと聞く。
この男も、例に漏れずその類いなのだろう。
残していった者を待つために、ここの社に留まっているのだ。
と、千夏は考えたのだが、頭の中を読んだ男に否定された。
「さっきも言っただろう。居心地が良いからだって」
「でも……待ち人がいるって……」
「その待ち人なんだが、去年死んでもう再会してるんだわ」
「んな…………っ!」
そういう大事なことは、もっと早めに教えて欲しい。
一人で勝手に考えてしんみりとした湿っぽい気持ちになって、恥ずかしいではないか。
顔を赤くして抗議する千夏に、男はにやにやと口を三日月の形にしながら、頭に手を伸ばした。
わしゃわしゃと、太い骨で出来た大きな手のひらが頭を撫でる。
泣いてる子どもを宥めるような手つきに、千夏の頬は熱さを増して、色も濃くなった。
「な、なにするんですか…………! セクハラで訴えますよ!」
慌てて男の手を払いのけて言う。
千夏の反応に気をよくしたのか、男はケラケラと声を上げて笑った。
「うんうん。元気でよろしい。子どもはこうでないとな。…………悩んでる表情は似合わない」
乱された髪を撫で付けていた千夏は、きょとんと首を傾げた。
悩んでる表情……? 誰が? 私が?
頭に疑問符を浮かべる千夏に、男は心配を込めた声音で言葉を発した。
「今年受験生だろう。どうだ、進路の方は。順調に進められそうか」
「あ、ああ……進路ね……。うん、志望校は成績よりも少しハードル下げてるから、大丈夫だよ」
大丈夫だと返したが、言った本人の心はどんよりとした曇り空だ。
だって、入試に受かって進学出来ても、その先が決まっていない。見えてこないんだもの。
それが表情にも出ていたのだろう。隣にいる男も怪訝な表情を見せている。
少し考え込むように腕を組んでから、彼も黙ってしまった。
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