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□神様と禰宜
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「ネギー。ネギくーん。ネギくんやーい」

 御神木である桜の花が笑む季節を迎えた社。
 境内の方から、飄々とした声音が探し人の名を呼ぶ。
 呼ばれている本人は社務所の中で顔をしかめた。
 ネギじゃなくて、禰宜だと何度も訂正しているのに。
 あの神……、また本殿から抜け出してるな。
 ぶつくさと呟き、窓口から顔を覗かせる。
 書物や絵巻で見かける白い衣に袖を通し、腰まで伸びた黒く長い髪を結い上げた人物が、酒瓶片手に闊歩していた。
 待て。待て、神よ。その酒どこから持ってきた。
 急な頭痛に襲われて、額を手のひらで覆う。
 度々、社を抜け出してはご近所の神や精霊と井戸端会議しているし、ちゃっかり人に化けて商店街をふらふらして、店主の皆々様と仲良くしているし、祭礼の時に行う御輿徒御では担がれる側なのに担ぐ側に回っている事もあったけれど……昼間から酒とは。
 神は自由奔放で自分勝手な方々が多いと聞くが、うちの神は自由奔放の域を越えている気がする。
 呆れている禰宜が言葉を失っているのも気にせず、社務所から姿を見せる彼に気づいた神が、表情を綻ばせた。

「あ! ネギくん、いたいた!」

「……なにをやっているんですか、あなたは。日中から、酒なんぞ持ち歩いて。少しは、お参りをしてくださる方々の声に耳を向け、託宣をするなり、絵馬に目を通すなりしてください」

 てくてくと歩み寄って来た神に、禰宜は苦言を呈する。
 禰宜の言葉をさらりと流し、神はにこにこと笑みを張り付けたまま、口を開いた。

「お花見しようよ、お花見! 今、みんなで呑んでるんだー!」

「……みんな?」

 頭痛に堪える為に俯かせていた頭を持ち上げる。
 太陽に負けない、輝かしい笑顔が視界に入った。

「そうそう。桜姫とか、直ぐそこの川に住む橋姫とか、隣町の稲荷くんとかもうたーくさん!」

 両手を広げて、友人の数の多さを表現する神である。

「せっかく暖かくなって、桜姫の花も咲き始めたんだ! ネギくんも、この芳春を共に愛でようよー!」

「ネギじゃなくて、禰宜だと何度言わせるんですか! だいたい、今勤務中……」

「参拝客も途切れてるし、そろそろ休憩の時間だし、他の巫女も権禰宜もいるし大丈夫だよー」

「むむ……」

 確かに、目の前にいる神の言う通り、自分はもう直ぐ休憩時間だ。
 参拝客も、正月や七五三の時に比べれば控えめである。
 社の桜が咲く季節になったとはいえ、悲しい事に名所と言われるほどでもないから、非常にのんびりとしている一日が続いている。
 正直なところ、参拝客の対応よりもこの神の突飛な行動の方が心配だ。
 腹を括った禰宜は、肺に溜まったものを吐き出した。

「わかりました。お花見、付き合いましょう」

「さっすが、ネギくん! 話せばわかる子! お酒は飲む?」

「勤務中なんですけど!」

 すっとぼけた問いに厳しい返答をお見舞いさせて、禰宜は春の色に染まる社の境内へ一歩足を踏み出した。




end



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