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□死期檻々
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遠ざかって行く足音が完全に聞こえなくなってから、ようやくイチコは肩に入っていた力を抜いたのだった。
柄にもなく、緊張していたようだ。
どっと疲れが溢れると同時に、冷たい汗が背筋を伝う。
湯船には寝る前に入っていたからシャワーだけにしようと思っていたのに、湯船にも入った方がよさそうだ。
「余計な手間が増えちゃったなあ……」
そういえば、英語で何か言っていたけど何と言っていたのにだろう。
あの口調だと良い意味ではなさそうだけど、部屋に英語辞典があるから、後で調べてみようか。
一度深呼吸をして心を落ち着けてから、ぺたぺたと歩き出す。
幽霊のことは、頭の中からすっかり抜け落ちてしまっていた。
あの狼と会うまでの恐怖は一体なんなのかと思ってしまうくらい、夜の怖い出会いだった。
「(あの様子だと、やっぱり私のこと気に入らないんだろうな)」
兄をぶっ飛ばしたことにまだ腹を立てているのか、そもそも人間として無理なのか。
イチコが悩んでも仕方ないことだけど、やっぱりちょっとだけ心にくるものがある。
仲良くしたい。とまでは願わないけど、平穏無事に日々を過ごしたい。
監獄で平穏とはなんなのかと言われそうだが、とにもかくにも波風立てずに過ごしたい。
そう願った……、のに。
青々とした葉を芽吹かせた木々の中で、イチコは泥だらけになって仰向けに倒れていた。
シャツの襟ごと首を絞められ、呼吸を圧迫する。
天候は曇り時々雨。葉の隙間から、どんよりとした空が見える。
金属が擦れる音が耳に入る。
ひんやりと冷えた銃口が、額に押し当てられた。
夕焼け色の瞳が、恐怖に揺れる。
口の中に入った砂利と一緒に歯を食い縛りながら、視界に入る藍色の狼を睨んだ。
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