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□死期檻々
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「やぁーい!泣き虫蹴鞠ー!」
「やぁーい!やぁーい!」
ぽぉーん、ぽぉーんと、青い空を下に、犬の形をしたぬいぐるみが宙を舞う。
初等部に上がる直前の、まだ小さな体格をした男の子が三人。ケラケラと下品な笑いをあげながら、犬の形をしたぬいぐるみを蹴りあげている。
白い生地で出来たぬいぐるみが、蹴られる度に薄汚れていく。
その男の子たちに囲われる中で、男の子たちよりも小さな女の子が涙を流しながらぬいぐるみを追いかけていた。
「わたくしのわんちゃんかえして!かえしてよ!」
宙を舞うぬいぐるみに、懸命に手を伸ばす。
あっちへこっちへと、体を忙しなく動かしているうちに目を回したのだろう。
足元がふらついて、少女はべたりとお腹から地面に倒れてしまった。
女の子が着る白いワンピースも、砂が付着して茶色く染まる。
いっそう笑い声が大きくなり、女の子はぬいぐるみを取られた悔しさと、転んだ恥ずかしさで頬を赤く染め、滝に似た涙が頬を伝った。
地面にぶつけたお腹が痛い。
倒れた時に地面につけた手のひらが、ひりひりとしびれている。
ふらふらと立ち上がりながら、手の甲とワンピースの袖で目から零れる物を必死に拭う。
くしゃくしゃに顔を歪めながら、「かえして」と言葉を繰り返した。
「返してもらう前に、自分で努力して取ってみせろよー!」
一番威張り散らす男の子がぬいぐるみの足を片手で掴み取り、これ見よがしに少女の前にぶら下げる。
少女が手を伸ばすと、男の子はぬいぐるみを遠くに投げ放った。
地面に落ちたぬいぐるみが、ぽんと弾みをつけて転がる。
愕然とした様子で、少女はぬいぐるみを見つめる。
ただでさえ蹴鞠の鞠代わりにされて薄汚れていたのに、砂がついてさらにみすぼらしい物になってしまった。
男の子たちがケラケラと声を上げて笑う。
とても可愛そうで見ていられなくて、自分の物なのに助けられなくて悔しくて情けなくて、男の子たちにいっぱい怒りたいのに言葉にできなくて、代わりに涙ばかり溢れては止まらない。
ぐちゃぐちゃに湿った袖で、目から頬に伝う滴(しずく)を懸命に拭き取る。
小さくひゃっくりを上げて、ぬいぐるみに近付こうと一本踏み出す。
が、男の子たちが我先にとぬいぐるみに向かって駆け出した。
「次は、サッカーやろうぜ!」
「……!やめて……!」
男の子たちに手を伸ばすが、宙を掻いただけで掴みたい者に届かない。
大切な友だちが、また酷いことをされて汚れてしまう。
瞳が大きく揺らいで、ぽたりとまた滴が零れる。
立ち尽くしたまま男の子たちの背中を見送っていると、不思議なことに男の子たちの足が止まった。
「どうしたのだろう」と、一つ二つと瞬きをして、自分よりも大きな背中を見守る。
「おい!お前!そいつをこっちに渡せ!」
男の子たちの中の一人が怒鳴りつけるように言う。
誰に向かって言っているのだろう。
袖で涙を拭ってから、男の子たちの奥を見る。
桃色の小さな人影が、視界に入る。
焦点を人影に合わせると同時に、風が公園を駆け抜けた。
ぱたぱたと、少女の着る袿の袖と緋袴が揺れる。
腰まで真っ直ぐに伸びた髪はくすみのない桃色で、癖が強くて鈍く光る水色をした女の子とは真逆だった。
現れた女の子をよく見ると、転がっていたぬいぐるみが握られている。
そのぬいぐるみを寄越すように男の子は言っていたのだと、今気づいた。
渡してしまったらどうしよう。そのぬいぐるみの持ち主は自分だと名乗り出るべきか。
男の子たちの後ろで、そわそわあわあわとしながら、ぬいぐるみと少女を交互に見る。
その時、女の子の夕焼け色の瞳と目があった。
女の子が、ぬいぐるみと男の子たち。そこから、再び少女に視線を移す。
「おい!聞こえなかったのか!このノロマ!そいつをさっさと渡せよ!」
男の子の一人が、女の子の持つぬいぐるみに向かって手を伸ばす。
掴む寸前、小さな手がそれを叩き払った。
「いってえ!」
「……あげない」
「はあ!?」
「これは、君のじゃない。……だからあげない」
驚いた様子で見返す男の子に、形の良い目をつり上げて、冷ややかな声音で女の子は言う。
ぬいぐるみを取られないようにしっかりと自分の胸に抱えて、女の子は意地悪な男の子たちを見据えた。
「きみたちみたいないじわるなひと、めいこはだいっきらい」
呆然とする男の子たちをすり抜けて、女の子は少女に駆け寄ると、少女の腕を掴んで共に公園を後にした。