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□死期檻々
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考えるよりも早く、イチコは右足を振り上げルプスの脇腹に爪先を捩じ込む。
怯んだ隙に首を掴む腕を振り払い、身を捻って男の下から抜け出した。
男も後ろへ一足飛びするのが、視界の隅に映る。
二人が移動するのと時同じくして、二人がいた場所に長距離から撃たれたペイント弾が地面に広がった。
看守役が使う赤色のペイント弾と、囚人役が使う青色のペイント弾。
あのままあの場所にいれば、イチコもルプスもペイント弾を受けて脱落しているところだった。
狙撃が行われた場所はどこからだろうか。
ルプスの動向を気にしつつ、木の影に隠れながら頭の中にうろ覚えの図面を広げる。
狙撃ということは上から狙って来たのだろうが、木に囲まれたこの場所を正確に狙い撃ち出来る場所があっただろうか。
頭を悩ませていると、ヘッドフォン型の無線から仲間の声が流れた。
“おーい、今狙撃したの誰だー?”
ボムの声だ。
続けて、狙撃した仲間が応答する。
“私です、ピスィカです!すみません、外しちゃいました……!”
狙撃したのはピスィカだったのか。
イチコと歳が一つしか違わず、ライフルやピストルを得意とした女性看守。
得意分野が違うので訓練で一緒になる機会は少ないが、とても腕が良い新人なのだと前にラズがカフェオレに話しているのを横で聞いていた。
あれは、体力テストがあった後の食堂だろうか。
“まあ、外しちゃったものは仕方ねえ!場所を移動し、次に備えろ。あと……、俺めっちゃめんどくせえ目にあってるから、イチコ指揮代われー!”
「はっ……!?」
ちょっと待て、リーダー。
なんで急にそうなった。
困惑するイチコを置いて、ボムはケラケラと話を進める。
“今、こっちはカフェオレに絡まれてんだ!尻拭いで、後輩のお前が代われ!こういう演習やったことあるんだろう?生き残ってるやつも、今からはイチコの指示に従え!”
カフェオレに絡まれてると聞いて、カフェオレからクナイを投げつけられ、お返しに訓練用の爆弾を投げつける様子が目に浮かぶ。
やったことがあるかないかと問われたら、ありだ。
道場で何度か、忍の演習をやったことがある。
が、忍の演習と今の訓練は人数も方法も違う。
来たばかりで、仲間の特性もよく知らないイチコが指揮をとるなど、土台無理な話だ。
無茶を言わないで欲しい。
ましてや、こちらはルプスを相手にしているのだ。
動き出したら、また殺されそうである。
ルプスの方も狙撃を受けて慎重になっているのか、影に隠れたまま姿を見せない。
居るのは気配でわかるが、先ほどの様に襲いかかって来ることはなかった。
“じゃあ、よろしくな!新米!”
「まだ、良いって言ってませんけど!」
イチコの言葉を聞き終える前に、ボム側から爆発音が聞こえる。
ああ、これはもう再度通信するどころではないな。
肺にたまった息を吐き出してから、深く吸い込む。
そして、また吐き出す。
こうなってしまったら、もうやるしかない。
ぱちんと両のほっぺたを叩いて、気合いを入れる。
始まる前に、ボムは言っていた。
一人でも看守棟まで逃げ切れば勝ちなのだと。
審判から、囚人役が脱落した報告は流れているが、看守役が脱落したという報告は殆どなされていない。
看守役はまだ多く残っている。
残っている囚人役たちで圧倒的な看守役たちを出し抜き、一人でも看守棟まで帰らせるのが、指揮権を(無理やり)渡されたイチコの仕事だ。
「全員で生き残るのは無理……。ならば……」
腕に自信のある囚人役を使って各個撃破してると敵に見せかけつつ、看守役の目を囚人役に引き付け、看守棟に一番近い囚人役だけを棟まで走らせる。
無茶で隙だらけな作戦なのは重々承知だが、ボムがカフェオレを、ルプスをイチコが相手している今、それしかない。
そうと決まれば、まずは仲間の状況把握からだ。
すっと息を吸い込んで、イチコは殆ど使っていなかったマイクを使いだした。