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□死期檻々
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 伸びた影を認めて、イチコは胸を撫で下ろす。
 良かった。どうやら、幽霊ではないようだ。ちゃんと足がある。
 肺にたまった息を吐き出していると、舌打ちをする音の後で無愛想な声が通路に響いた。

「shit……!」

「うげっ……!」

 響いた声音を耳に入れて、イチコは蛙が潰れた時に似た声を出す。
 しかめっ面で俯かせていた顔をあげると、向こうも同じなのか渋い表情をして、足を止めている。
 渋い表情の前に驚いた表情も見えた気がするが、直ぐに消えてしまった。
 現れたのは、見上げるくらい大きな身長を持つ、狼の名を持った男だった。
 マオの弟のルプス。
 イチコに殺気混じりの視線を向けてくる男。
 足音が幽霊じゃなかったのは救いだ。
 だが、幽霊よりも面倒な者に出会ってしまった。
 まだ、幽霊の方が良かった気がする。
 二人っきりで対峙するのは初めてだろうか。
 話すのは、いつ以来だろう。もしかして、初めて……?
 記憶を辿って、目の前に立つこの男と会話した日を思いだそうとするが、心当たりがない。
 初めて会った日に「餓鬼」と言われたけど、あれは会話ではないし。やはり、初めてだ。
 初めての会話が、仲介者も誰もいないこの状況になるとは夢にも思ってなかった。
 無表情だし、口数少ないし、マオと話している所を見かけても英語で話しているから内容わからないし、この男が何者なのかよくわからない。
 向けられる視線を分析する限り、なんとなく嫌いなのかなとは思うけど。
 人に嫌われるのは寂しいことだが、なってしまったものは仕方ない。
 こちらが、あれこれ言う事ではない。

「(ううん、どうしよう。黙って通り過ぎようかな……)」

 というか、なぜ私は対応に悩んでいるのか。無視すればいいではないか。向こうもそうするだろうし。
 イチコが悶々と考えを巡らせていると、目の前の男が口を開いた。

「……そんな格好で何をしている」

「そんな格好……?」

 言われて、イチコは自身の格好を思い出す。

「(しまった……!)」

 そういえば、寝間着のままだった。
 甚平の丈が長いせいで、人によってはパンツもスカートも身につけてないように見えるだろう。
 身体中の熱がイチコの頬に集中し、焼けるように熱くなった。
 まさか、年上の男の人にこの姿を見られるとは。

「あ……っ、汗かいちゃったからお風呂に行くところ、ですけど?」

 男から視線をそらし、気恥ずかしさを隠すように言葉を詰まらせながらも強気に返す。

「なら早く行って、部屋に戻れ。そのだらしない格好をどうにかしろ。vanish.“消えろ”」

 殺気混じりの視線が、イチコを頭上から突き刺す。
 普段遠くから送られて来る視線が、今は近距離から向けられている。
 男の人の相手をするのは兄やマオの相手で慣れたと思ったが、この人は二人のどちらとも違う圧力があった。
 逃げ出そうと足掻く囚人のそれよりも、ちょっと怖かった。
 自然と肩に力が入る。

「い、言われなくてもいくわよ!あと、こっちあんまり見ないでよね!」

「……誰も見ていない」

 ルプスがイチコから視線を外し、一歩踏み出して脇を通り過ぎる。

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