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□死期檻々
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赤毛の男が握っていた模造刀が、天井高く弾き飛ばされる。
続けて、瞬き一つ入れる間もなく、男の鳩尾を抉る形で少女の黒いブーツが入った。
男の体が、背後にある壁に引き寄せられてるかのように訓練所を横切り、背を壁に打ち付ける。
その場の空気が凍りつき、静まり返った場に模造刀が落ちる音が響いた。
足をおろした桃色の少女が、状況に気付いて息を呑む。
やり過ぎた。
足技使用禁止のルールだったのに使っちゃった。
口の中で呟いた時には、藍色の髪をもつ男が二階の見学席から赤毛の側に移動し、大事がないか確認をしていた。
「“わーお!びっくりしたー”」
むくりと起き上がつつ、赤毛の男が間延びした口調で母国の言葉を話す。
藍色の方が、至極冷静に同じ母国の言葉で口を開いた。
「“兄さん、怪我は”」
「“ないよ!ちゃんと、ガードしてたしね!”」
「“ならいいです……”」
弟の眼光が、少女に向けられる。
ざっくりと肌が切れそうな、刃物みたいに鋭い視線だった。
びくりと、少女は身を震わせる。
その間に、訓練の様子を見ていたカフェオレが少女の側に移動し、声をかけた。
「イチコ、怪我はない?」
「う、うん。大丈夫だよ」
へらりと笑って、イチコは答える。
「そうか」と、姉代わりの先輩は手短に返し、持っていたクリップボードに文字を書き込む。
その動作を目にして、そういえば、今はどの武器が得意で、どの班に所属するか決める訓練をしていたんだったと少女は思い出した。
それなのに、手加減をしてくれていた先輩を決め事を破って本能に任せてぶっ飛ばしてしまって、申し訳なく思う。
ついつい、道場でやる稽古の癖が出てしまった。
申し訳ないと、思うけれど……。
「(睨まれる理由にはならないと思う)」
未だにイチコから視線を外さない狼を睨み返しつつ、むすっとほっぺたを膨らませる。
じりじりとにらみ合いを続けていると、カフェオレのクリップボードがイチコの後頭部を攻撃した。
痺れるような痛みにイチコは顔をしかめ、カフェオレに視線を戻した。
「痛い……」
「イチコは戻っていいよ、データ取れたから。マオはルプスと交代だ」
「“ええー!”俺、まだやれるよー」
「イチコに鳩尾やられたんだ。救護室で異常がないか確かめてから戻って来なさい」
「“ちぇっ……りょーかい”」
「仕方ないかー」と、赤毛の兄は重たそうに腰を上げるところを視界の隅に入れつつ、イチコも引き上げる為に歩き出した。
更衣室で訓練用の運動着から仕事用の白い制服に着替えたあと、イチコは今日の仕事場である囚人棟へ向かっていた。
今日は日勤で、囚人の見張りが主な内容だったと思う。
ここに来てから、二週間は経っただろうか。
覚えることは多く、戸惑う事がまだまだたくさんある。
囚人と一括りにいっても、大人しい人から過激な人まで様々だ。
脱走騒動も稀にある。
稀にあることが、連日起こる奇跡みたいな日もある。
今日は何事もないなと思っていると、途中にある救護室の前を通りかかると同時に、鳩尾の検査を受けていたマオが中から現れた。
殆ど同時で訓練場から出たはずなのに、随分と早い終わりである。
動かしていた足を止め、目を丸くして彼を見ていると、気づいた彼も目を丸くしてイチコをみた。
「おや!」
「あ……、さ、さっきはごめんなさい……!」
慌てて、ペコリと頭を下げる。
気にしてないよと、マオが少女の小さな肩を叩いた。
控えめに下げていた頭を上げると、マオの方も申し訳なさそうに頭を掻いていた。
「こっちも、弟が睨み効かせてごめんね。悪いやつじゃないからさ」
「……それ本当ですかあ……?」
受けた視線を思い出して、疑いの目を赤毛の兄に向ける。
あれは、確実に敵視した目だ。
あの場は睨んだだけで終わったけれど、訓練でも何でもない自由な時間であれば、殴りかかってきたはずだ。
よくて殴りかかることはなくても、怒号の一つ二つ飛んできたかも知れない。
まだ来たばかりなので確定は出来ないけど、あの弟はこの兄を尊敬し大事にしているように思う。
イチコが彼の立場だったら、絶対に怒っていた。
むうっと眉間にしわを寄せるイチコを見て、マオは困ったような、可笑しいような、色々な物が入り交じった笑顔を見せた。
「本当だよ。だって、ずっと見てるじゃない?俺たちの手合わせ」
視界に入れるほど嫌いなら、あんなところにいないでしょう。
それを言うと、イチコは腑に落ちない様子で答えた。
「あの人はマオさんのことを見てるんですよ」