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□死期檻々
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「よしっ!行こうか!」

 出掛ける支度を済ませた赤毛の兄が、腰に手を当て意気揚々と宣言する。
 つり上がり気味の、猫の目に似た瞳が、いつも以上にキラキラと輝いていた。
 顔を洗っていた途中だったルプスは、額から顎まで水を滴らせたまま、顔を上げて兄を見る。

「“はぁ?”」

 夜勤明けの午前。
 発した声音は、自分のものかと疑うほど低く冷たく、疑問と寝不足から来る苛立ちと日頃の苦労がない交ぜになった、複雑なものであった。



 マオに連れ出され、ルプスは監獄から歩いて行ける場所にある百貨店へと訪れていた。
 石造りで出来た長方形の建物は二階建てで、中央の通りに沿って商店がズラリと並んでいる。
 郊外にある田舎の商店街をそのまま移したような百貨店であった。
 一階の天井は、二階の通路と渡り廊下だけを残してくりぬかれ、吹き抜けとなっている。
 下の階からでも二階の様子が見てとれた。
 テラス席のある喫茶店を横目に、兄に続いて中に入る。
 電信柱三本分の距離を空けて先を歩くのは、自分たちの女であった。
 桃色の犬と、黒色の猫。
 二人は談笑しながら、仲良く買い物を楽しんでいる。

「女の子だけの買い物って、どんな感じか気になるよね!」

「兄さんだけでしょう……」

 物陰に隠れながら、こそこそと二人を観察するマオに、ルプスは呆れきった様子で答えた。
 本来であれば、あの二人の傍らには自分たちがいる。
 が、今日は違う。
 今日は二人だけで出掛けるのだと、ルプスは事前にイチコから聞いていていた。
「同年代の女子と二人だけで出掛けるのは初めてだ!」と語った、イチコの楽しげな様子が忘れられない。
 思い返してみれば、彼女が出掛ける相手はカフェオレや自分といった年上の人間ばかりなのだ。
 いい機会だからと、ルプスは「迷惑かけるなよ」と釘をさして、送り出す事にした。
 なのにだ。赤毛の兄は人の気も知らず「尾行しよう!」と、呑みに誘う口調で言ってきたのだ。
 間髪入れずに、「否」と答えた。
 が、「大きなイベントの前で邪な連中が蔓延る中、二人だけで出掛けさせるの?ナンパとか誘拐とかされたらどうするんだよ!」と返され、仕方なく……本当に仕方なく、兄の付き添いだと言い聞かせて、寮を出た。
 物陰に隠れている兄に反して、ルプスは堂々と姿を見せながら移動する。
 仏頂面を見せる弟に、マオは唇を尖らせて言葉を返した。

「ノリの悪い奴だなあ。ちゃんと隠れないとバレるぞ、ルプスー」

「隠れたって、バレる時はバレますよ」

「俺の犬は勘がいいですから」と、すました表情で言葉を続けるルプスである。
 イチコの勘が良いのは事実だ。
 その勘を使って、尾行している事に気づいてくれと願っている。
 さっさと終わらせて、部屋でゆっくりしたい。
 先を歩く桃色の犬に視線を向けながら、肺にたまった息を吐き出した。

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