本棚

□死期檻々
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 ◇  ◇  ◇


 堕ちた太陽を、誰が再びつり上げてくれるというのか。


 ◇  ◇  ◇


「今日で収監されてから8年になるみたいですね」

 テーブルを挟んだ向かいのパイプ椅子に座る女性看守が、書類を片手にぽつりと溢す。
 伸ばされた黒い髪に青い瞳。
 本来、白いネクタイをつける場所には紫色のリボンがある。
 カフェオレとはまた違う真面目な雰囲気を纏う女性は、ラベンダーという名の看守だ。
 そのラベンダーの向かいに座る囚人8369、通称ミロクはニコニコと笑みを浮かべながら答えた。

「ええ、そうね。あっという間の8年だったわ」

 薬物法違反で捕まり、裁判で有罪を言い渡され、この監獄に収監されてから8年。
 薬物法違反といっても、ミロクは違法な薬物の使用ではなく、医薬品を不正入手し使用した事による逮捕だった。
 薬剤師として勤めていた病院に、ある子供が運び込まれた。
 薬を処方すれば、時間はかかれど治る病だった。
 が、その薬は大きな病院にしか回らない、手に入れる為には国の許可と大変な額のお金を払わねばならない代物だった。
 田舎にある小さな村の隅っこにある病院には、とても手の出せない薬だった。
 子供の両親にも都会にある大きな病院に転院させる余力も財力もなかった。
 治せるのに、治せない。
 なんの為に、医者がいるのか。薬剤師がいるのか。
 私は、見殺す真似がしたくて薬剤師になったわけではない。
 ベッドに力なく横たわる子供の顔を見て、ミロクは決心した。
 薬を、手にいれよう。
 この子供の命を繋ぐために、どんな方法になろうとも、最後に待っている結末がどんなものでも、薬を持ってこよう。
 ミロクは一人田舎を飛び出し、薬を入手できる道を探り、知恵も体も使って、ようやく手にいれた。
 薬を子供に渡したその日に、ミロクの手首には手錠がかけられた。
 薬剤師の免許も剥奪されたが、全てをやりきったミロクに後悔はなかった。

「あなたは模範囚だから、あと2年程で仮出所となります。…………どうするか、決めてますか」

 仮出所の案内が書かれた1枚の紙を、ミロクに渡す。
 ミロクは受け取っただけでろくに中身も見ず、テーブルの上にそれを置いた。

「そうねえ……」

 胸に垂れていた、毛先にうねりのある豊かな金色の髪を、背中にゆるりと流す。
 視線は天井に向けられていた。
 天井の先にある空を見ているのか、それはそれは遠くを見つめるようにして、向けられていた。

「一つだけ確かなのは、故郷には戻らないってことね」

 ミロクの言葉を聞き、ラベンダーは目を丸くする。
 出所する囚人の殆どは、故郷に戻って、生きる道をやり直す。
 なのにミロクは、その道を辿らないというのだ。

「故郷には戻らない。でも、故郷に似た田舎に行って一人暮らしをしようとは思っているわ」

 薬剤師ではない身を寄せられる職に就いて、一人暮らしをする。
 お金をためて、たまったら中古の一軒家を買って、身寄りのない子供や老いた人を引き取って。
 今いる監獄のように、助けあって、支えあって生きていける、そんな空間をいつか作りたい。
 それが、今のミロクが抱いている夢だ。

「…………結婚はしないんですか?」

 ミロクが今語った夢に、結婚のけの字も出てこなかった。
 暇さえあれば、「結婚したいなあ」とぼやいていたのに。
 ラベンダーにそれを問われると、ミロクは一拍あけて自嘲して見せた。

「堕ちた太陽をつり上げてくださる殿方なんて、そうそう現れてくれないから…………」




「サン・ソレイユ」

「サン・ソレイユ?」

 中庭のベンチで間食のサンドイッチを手に持ちながら、桃髪の少女イチコが隣に座る銀髪の女性カフェオレに聞き返す。
 先ほど、ミロクの仮出所の説明に立ち会った時に聞いた「堕ちた太陽」の意味を問うた後の会話だ。
 カフェオレはコーヒー牛乳を一口煽ってから、口を開いた。

「8369…………ミロクさんの本名だ。意味は、両方とも太陽。だから、あの人は自分の事を堕ちた太陽だと言うんだよ」

 ミロクの両親は、彼女に太陽の存在になって欲しかったのだろう。皆を暖かく照らす日に。
 だがミロクは囚人となり、親の願いとは遠く離れた存在に変わった。

「それが、堕ちた太陽の意味だよ」

「へえー」

「まあ、その名前は本人の中では故郷を出た時に捨てたみたいだけど」

 だからこれまで通り、ミロクと呼んでやれ。
 カフェオレの言葉に、イチコは間延びした返事をした。





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