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□死期檻々
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「…………砂浜は嫌いか?」
「ん……?」
砂浜での荷物番をマオとピスィカに交代してもらい、イチコを連れて海の家で休んでいた時の事だ。
二人から差し入れて貰った焼きそばや串焼きをつついていたところで、ルプスは気になっていたことを、テーブルを挟んで自分の前にいる彼女に問う。
イチコが目を丸くする。
口に入っていた物を飲み込んでから、イチコは質問を質問で返してきた。
「何でそう思ったの?」
「歩くときに、砂を気にしてただろ」
彼女をよく知っているルプスは、砂浜を歩くときの歩幅が普段よりも狭く、ゆっくりとしていた事に途中で気づいたのだ。
いつもの調子で並んで歩いていたら、気配が小さくなり、振り返って見ると彼女がずいぶんと後ろの方を歩いていて驚いた。
その後は彼女の速度に合わせて歩いたが、やはりゆっくりとしていて、表情が度々歪んで、唇を引き結んで。
思い返して見ると、表情が歪んだのは、足の裏とサンダルの間に砂が入り込んだ時だ。
俺の目は誤魔化せないぞとばかりに、彼女を見る。
イチコは視線を泳がせた後、誤魔化せないと観念したのか、息を一つ吐いてから言葉を返した。
「砂が肌につくのが苦手なの。じゃりじゃりして。流すときも泥になって変な感じするし、綺麗にするのに時間がかかるし」
だから苦手なのだと、彼女は続ける。
答え終わってから目を伏せた彼女は、少々寂しげな雰囲気を漂わせた。
「海は好きなんだけどね…………」
海は好き。
眺めるのも、波打ち際に立って足を浸けるのも好き。
魚を見るのも好き。
潜って泳いだ事はないが、いつか機会があればしてみたいなと思う。
でもやっぱり、肌に砂がつくのは苦手だ。
話し終えてから、残っていた焼きそばに箸を伸ばす。
寂しげな雰囲気は残ったままだ。
待つのが苦手な彼女が、荷物番を買って出たのは体調のせいだと思っていたが、砂の事もあったのだろう。
砂が苦手でなければ、「一緒に行く!」と、言ったはずだ。
砂浜を駆けて、いの一番に海へと浸かる彼女の様子が目に浮かぶ。
水に足をつけて、きゃっきゃと笑ってはしゃぐ、無垢な少女。
それが出来ないから、目の前の女は寂しそうな視線を海に向けるのだ。
鰭(ひれ)を奪われた人魚のようだ。
「…………行ってみるか?」
自然と、その問いが口から出た。
問われた方は、目を大きく見開いて、ルプスを見る。
「…………どこに?」
「波打ち際だ」
「うーん…………そうだなあ。でもなあ…………」
興味はあるようだが行く決断が出来ないのか、迷う様子を見せる。
もう一押しと、ルプスは言葉を放った。
「行きたいんだろう。砂浜は担いでやる」
「…………!」
変なことを言っただろうか。
イチコはルプスをじっと見たまま、信じられないという表情を見せた。
「まじ?」
「冗談で言ってるように見えるか?」
そう返せば、彼女は首を横に振ってみせた。
「見えない」
「わかってるなら、さっさと食え。置いて行くぞ」
「じゃあ、ルプスさんも手伝ってよ!なんかしらないけど、この焼きそば量が多いんだよー」
「マオさん、何人前で頼んだんだろう!」と、一人騒ぐイチコを、目を細めて見つめる。
今の自分は、同僚も義理の兄も驚くほど、柔らかい表情を見せているはずだ。
「…………ったく」
手に余る、女である。
その女に惚れてしまったのは、他でもない自分だった。
end