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□死期檻々
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「イチコさん、本当に行かないんですか?」
水着の上にパーカーを身に付けた眼鏡をかけたおさげ髪の少女が、シートに大人しく座る少女の顔を覗き込むようにして問う。
おさげ髪の少女はピスィカという名の女性看守だ。
彼女の背後には、青い海と今日共に来た若い同僚と数人の先輩たちが控えている。その中には、マオとルプスといった見知った面々もいた。
桃色の髪を右耳の上で一つにまとめたイチコという名の少女は、問われたことに大きくうなずいた。
「うん!ここで荷物番してるよ」
「でも……」
「いいから、いいから。この中では私が一番下っぱだし、気にせず見回り行って来てください」
彼女だけではなく、後ろに控える先輩方にも聞こえるように、言葉を発する。
今日の仕事は、海岸の見回りだ。
なんでも、この海岸で違法な薬物の取引が横行しているらしく、海水浴客に紛れて売人を摘発する為にやって来たのだ。
先輩方は顔を見合わせると「本人が言うならそうさせるか」と囁くように言葉を交わし、任せても良いという結論を出した。
「じゃあ、荷物よろしくねイチコちゃん」
「お気をつけて」
マオとピスィカそれぞれから一言ずつもらい、今日の仕事へと向かう先輩方を手を振って見送る。
先輩方が離れたのを確認してから、イチコは貼り付けていた笑顔を消し、大きく息を吐き出した。
「やっと休める…………」
自分でも驚くほど、疲れが混ざった低い声だった。
なんせ、つい数時間前まで五連勤の最終日勤務。それも全て夜勤という内容である。
本来なら今日は休みで、看守寮でゆっくり寝て曜日だったのだが、今回の任務に欠員が出てイチコが補充されたのだ。
欠員など出ないだろうと思って補充に立候補したのが間違いだった。
夜勤後、直ぐに移動だったので寝る暇もなく、睡眠不足である。
が、身体に大きな負担を与えているが、悪いことばかりではなかった。
普段見ることがない、片想い中のあの人の水着姿と素肌が見れたのだ。
五連勤と休日出勤を頑張ったご褒美と思って、有り難く目に焼き付けておいた。
いつもよりも無言で、渋い表情をしていた彼の様子が気になったが、おそらく太陽の熱を煩わしく思ってそういった雰囲気になったのだろう。
うん、そうだ。きっとそうだ。
私のせいではないはずだ。
向けられた視線が、夏の太陽に似合わない雪の女王も驚くような冷ややかさだったが、気のせいだと思っておく。
待つのは苦手だが、今日は眠気の方が勝った。
仕事の方は、昨日休日だったとか日勤だったという同僚に任せて、自分はゆっくり寝ようではないか。
砂も足に付着しないし。
肌に砂がつくと、流すときに泥になって嫌なのだ。
「あつい…………」
眠たい目を擦りながら、周囲を見回す。
周りの海水浴客はパラソルやテントを持ってきているのに、なぜうちの先輩たちは持ってきてないんだ。海水浴素人さんか。
この短時間でも、直射日光が身体を焼いて露出した肌が赤くなっている。
水着の上に甚平の上を着ているとはいえ、これは身体に悪い。帽子も忘れてきてしまった。
鞄からバスタオルを取りだし、頭を隠すように巻き付ける。
「パラソルほしい…………」
これは、寝るどころではない気がする。
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