本棚
□死期檻々
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「…………やっと終わった」
山のように積み重なっていたお皿を洗い終え、元看守のイチコ……本名めいこは息を吐いた。
蛇口を閉め、手拭きのタオルで濡れた手を拭く。
一息吐いても、身体に重たい空気がまとわりついて、知らないうちに気が沈む。
このままでは、家の空気を悪くしてしまう。
「(今日は一段と興奮してたからなあ)」
ここ最近雨続きで、外で満足に遊べてなかったから。
リビングの隣にある部屋の扉に、視線を投げた。
自分が産み、育てている幼子たちは、先ほど風呂に入れて、めいこが皿を洗う前に眠りにつかせたところだ。
日中の興奮で、今夜は朝までぐっすり眠るだろう。眠ってくれないと、こちらが困ってしまう。
今日はもう体力の限界だ。
夫は今日は遅番で、帰るまでにあと数十分はかかるだろう。
帰ってきてからお出迎えして、先に風呂に入れて、その間に御飯を用意して。
あの人の事だから、御飯もお風呂も一人で準備出来るだろうけど、やっている仕事がやっている仕事だから、顔を見ないとこちらが安心できない。
ふるふると頭を横に振りつつ、台所からリビングへ足を踏み入れる。
窓際に近い場所に置かれたソファーに腰を下ろし、背もたれに背を預け、再び息を吐く。
めいこの意識は、そこで遠退いた。
髪を撫でられた。そんな感覚がした。
「…………あ…………れ……?」
瞼を震わせ、めいこは目を覚ました。
上半身が倒れている。
座っていたはずなのに、いつの間に横になったのだろう。
頭の下にある固いものは、膝だろうか。
ぼんやりとした頭を醒ましつつ、瞼を数度瞬かせていると、聞き慣れた声が頭上から降ってきた。
「“起きたか?”」
はっきりとしなかった視界に、大きな影が現れる。
いつの間に帰って来てたのか。
戻ってきた視界に愛しい人の姿が映り、めいこは口角を緩めた。
鋭い視線を放つ切れ長の目。前髪を二房ほど垂らし、残りは後頭部へと流した髪。普段、大剣を握る大きな手は、今はめいこの髪を撫でるように触れ、耳を撫で、首筋へと移動した。
くすぐったさにめいこが身体をよじる。
のそのそと身を起こそうとすると、彼が背に手を回し、起こすのを助ける。
慣れた手つきで横抱きにされて、そのまま彼の膝に座る形になった。
「おかえりなさい…………ルプスさん」
「“全く……”……珍しく出迎えがなかったから驚いた」
「ごめんなさい。…………ちょっとだけ休むつもりだったの」
「休むなら、部屋に行ってしっかりと休め。……倒れるぞ」
めいこを抱いている腕の力が強くなる。
ああ、久しぶりに心配しているなあと、めいこは頬を緩ませた。
最後に心配されたのは何時だったか。最後の出産の時だったか。
優しい口調で休めと言われたら、逆に頑張りたくなってしまうではないか。
「そうする」
そう返したが、休むつもりがないのを察せられたのか、彼の眉が片方つり上がった。
「本当にわかってるのか?」
「わかってるって」
心配性だなあと、彼の垂れた前髪を払い退けて、この話題は終わりだと言わんばかりに額に唇を落とした。
end