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□死期檻々
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「そろそろ……来る頃だと思っていたよ」

 朗らかに笑って、老人は笑う。
 壁際に腰を落ち着けて、鉄格子の向こう側にいる小柄な女性に向けて。
 女性は顔色を一つも変えず、口を開いた。

「こんにちは、2693」

「こんにちは、カフェオレちゃん」

 女性の名は、カフェオレ。この監獄で働く女性看守の一人だ。
 対する老人は、収容されている囚人。
 看守に対して、恐れおののく囚人も多数いる中、臆することなく呼び慣れた様子で老人はその名を口に出す。
 向ける視線は、孫を見つめるものに近い。
 カフェオレはその視線を一切気にせず、むしろ当たり前のように受け取る。
 銀色の髪を鬱陶しそうに指で払い、鉄格子に歩み寄った。

「いつもの糖分補給だね」

「はい」

「じゃあ、これをあげようね」

 そう言って、老人は懐に手を伸ばし、忍ばせていた物を取り出す。
 優しく包み込むように握られたそれは、黒飴だった。

「ありがとう、2693。助かる」

「いいんだよ。今はこれも、一つの楽しみだからね」

 楽しげに笑う老人につられて、無表情だった彼女の顔色が僅かに明るくなる。
 ひとしきり、二人で笑いあったところで、老人が思い出したように口を開いた。

「そういえば、もうすぐ百物語の季節だね」

「はい。今、ヴィオラと練習中です」

「今年は、カフェオレちゃんが語り役か」

「はい。そこで、ひとつ2693に手伝ってほしいのだが、いいだろうか?」

「この老いぼれに出来る事があれば、何でもするよ」

「ありがとう。では後日、台本を持ってくる」

「ああ、待っているよ」

「では、これで」

 自信に満ちた表情を最後に見せて、カフェオレは仕事に戻る。
 甘い飴を貰ったからか、それとも人と会話したからか。その足取りは軽い。

「大分、笑えるようになってきたね」

 数年前。休職明けの彼女を迎えたのは、姉や兄のように慕っていた二人の友人の、殉職と収監だった。前者が殉職し、後者が収監された。カフェオレは酷く落ち込み、職に就いて初めて、声を上げて泣いた。
 泣いた場面を、老人は一番近くでみていた。

「本当に、笑えるようになった」

 もう一度、同じ言葉を彼女の背に投げて、老人は目を閉じた。





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