本棚
□死期檻々
6ページ/109ページ
バレンタイン前日、ラズの機嫌は良い方であった。
気心の知れた囚人たちにからかわれた昨日と打って変わり、同僚の男性看守を弄り倒し、休憩時に明日渡す菓子をちまちまと作って、本命に渡す菓子を包むのに少々胸をときめかせ、忙しかった一日が終わりを迎える。
何事もなく、日付が変わる。
そう思っていた。
大浴場に、足を踏み入れるまでは。
『大浴場の時間です』
「(いよいよ、明日か……)」
包んだ本命の菓子を思いながら、その向こうに見える顔を浮かべながら、蛇口から桶にお湯を出す。
鏡に映る自身の顔が赤いのは、きっと浴場が暑いからだ。
物思いに耽りそうになったラズは、弾かれるようにして我に返り、桶のお湯を被る。
だからだろう。
目を瞑った隙に忍んできた影に、気づく事ができなかった。
「相変わらず……小さいなあ、ラズ」
とても聞き覚えのある……、否。この時間には会いたくない人物の声が頭上から聞こえる。
同時に、柔らかいものが後頭部に押し付けられる。
肩では、しっとりと濡れた皮膚が触れ合い、互いの体温を共有する。
戻ってきた視界に入ったのは、後ろから伸ばされた両腕と、鏡に映る水にも負けないぴょんぴょんと跳ねた銀色の毛先。
ツツジに似た色の瞳が、鏡越しにラズを見ている。
「か…………!」
カフェオレ!
固まっていた口から出た名前に、名を呼ばれた方は満足げに片方の唇をつり上げた。
「こんばんは、ラズ。……今日はとても楽しい一日だったそうだな」
後ろから抱きつく形でいたカフェオレが、口を開く。
身長は大して変わらないのに、自分とは真逆の大きさを持つ胸を、これ見よがしにラズの頭にくっつける。
馴染みのない触感に、ラズの肌が粟立った。
「な……なんのことだか……」
「パレットが涙目だったぞ」
「……何で知ってるんだ?」
「今日の監視カメラの担当は私だ」
だから、全部見ていた。
ついでに声も聞いていたし、後でパレットからも話を聞いている。
淡々と告げられていく言葉に、別の理由でラズは身を震わせた。
寒いわけではない。
言葉の端々に含ませられたものが怖い。
何か、ぶっこんで来る。
身長こそラズの方が高いが、カフェオレはラズよりも看守歴が長く、胸も大きく、多少の事では表情を変えず、戦車が好きで、ラズや他の者が弄ったりからかったりしても、読んでいたかのように後々反撃してくる。
恋愛面だってそうだ。
ズバズバとこちらから切り込むと、動じないどころか堂々としている。
マーガレットとの関係も、あっさり“是”と返した。
正直、苦手なタイプだ。
そもそも、ラズはカフェオレとの出会い方が微妙だった。
.