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□壱珂と杏
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 ちゃらん……ちゃらん。
 両手足首に着けた、小ぶりの鈴が鳴る。
 長い腕はしなやかに動き、それにあわせて薄手の袖が舞う。
 足の動きは軽やかだが、どこかゆったりとした動きでもある。
 二つに分けて、耳の上で結った栗色の髪も、動きにあわせて揺れ動いていた。
 神に捧げる舞……の練習。
 それに付き合えと彼女に言われたのが一時間前。
 彼女とはもちろん、今舞をしている彼女……杏(アンズ)の事だ。
 神楽殿の柱に背を預けて、壱珂(イチカ)はしばらくの間鈴の音を聞き入っていた。
 一息吐いた所で腕につけた時計を確認し、「あ」と声を漏らす。
 もう直ぐ、琴の稽古の時間だ。
 組んでいた腕を解き、藍色の狩衣を翻して舞台に上がる。

「杏!」

 壱珂に声をかけられ、杏は動きを止める。

「なーに?」

 赤い瞳を壱珂に向けて問う。
 壱珂は腕時計を指差して、口を開いた。

「琴の時間だぞ」

 壱珂に言われて気付いたらしく、杏も先ほどの彼と同じように声を漏らした。

「もうそんな時間?」

「先生を待たせたら失礼だから、さっさと行こう。着替えもしないと」

「はいはい」

 ちゃらちゃらと鈴を鳴らして壱珂に駆け寄り、共に舞台を後にする。
 屋敷に戻る途中、杏は壱珂の空いた右手に自分の左手を触れさせた。
 気付いた壱珂が、右手で彼女の手を包み込んだ。
 ちゃらちゃらと、鈴の音が揺れる。
 杏は冥府の王、閻羅王の娘。
 壱珂は冥府の狩鬼で、閻羅王の部下。
 こうして手を繋ぐ仲だけど、みんなには内緒だった。
(一人には筒抜けてそうだけど)




「壱珂はこの後仕事?」

 屋敷入った所で手を放し、杏は問う。
 頭一つ高い壱珂は、宙を見ながら予定を思い出した。

「仕事だなあ。地上に行って、神社の手伝いをする事になってる」

「帰って来るのは?」

「明日の朝かな」

「ふうん……」

 少し寂しそうに、杏は目を伏せる。
 そんな表情するなよと、彼女の頭をわしゃりと撫でた。
 杏の部屋へと続く廊下の角を曲がろうとした所で、杏が足を止める。

「杏……?」

「静かに」

 声をひそめ、人差し指を自分の口に当てる。
 壱珂は廊下の奥に耳を傾けた。

「……本当に、出来損ないな娘ったらありゃしない」

「お二人のお兄様は優秀なのに、あの娘はねー」

 屋敷に使える女房たちの声だ。
 壱珂は顔を顰める。

「お稽古も舞も、何をやるにしても中途半端」

「霊力も高いわけじゃないし」

「人間の血が強すぎるのよねー」

「本当に、閻羅様の子なのかしら」

 本人が居ることも知らずに、女房たちは好き勝手口を開く。
 女房たちの矛先は、杏から次第に彼女の母親へと向けられた。

「あいつら……ッ」

 腰に差した刀に手を伸ばした時、杏が腕を掴んで制止させた。

「やめて。大事にしたくない」

「でも、」

「中途半端なのは、本当だもん。兄様たちにも言われてる」

 霊力も二人の兄に比べると多く持ち合わせてない。
 不器用で、飽きっぽくって、何をするにも中途半端。
 自分が一番わかっている。
 出来損ないな娘だという事を。
 踵を返し、別の廊下を進む。
 部屋に行くのに遠回りになる道だけど、女房たちとすれ違って気まずくなるよりはましだった。
 肩を落として歩く彼女の頭に壱珂は手を置く。

「帰って来る時に、ケーキ買ってきてやる」

「……チーズね。レアで、いちごが乗ってるやつ」

「了解」




end



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