参画物部屋

□貴方は泣いている
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成瀬さんの手を煩わせ、更に迷惑をかけることになるなんて。
それでも、あの家には帰ることは出来なかった。
体が動かない。

「話したくなったらいつでも呼んでください。書斎にいます。」

俺を気遣ってか部屋に向かう彼を、気付けば追いかけていた。

「…芹沢さん?」

「待って。お願い、ちょっとだけ待って…。」

急な俺の行動に、拒絶されるかと思ったが彼はそんなことはしなかった。優しくこちらを見つめている。
今だ、全部打ち明けてしまえ。と覚悟を固めていく。
だけど、最近出来た顔見知りに言って困らせるだけだぞ。と弱気な俺が、言えない言い訳を探し出す。
いや、弱気の俺の方が正常だろう。
普通は他人に言うことではない。

「なんでも話してください。僕はそれを聞きます。」

「成瀬…さん…。俺…」

駄目だ、やっぱり言えない。
これは俺の問題だ。それなのにこの人は、真っ直ぐ俺と目を合わせて

「一緒に見て行きましょう。」

と言った。一緒に。それは俺の問題をこの人が一緒に背負ってくれることだ。
弁護士である彼にとっては、ごく普通の感覚なのかもしれない。
この時の俺にはそんなバックグラウンドに頭を回している余裕は無かったけど。

「俺…怖い、んです。」

「怖い、ですか。いつ、怖いと感じますか?…その前にとりあえず座りましょうか。」

リビングのソファに腰を落ち着けて、2人とも何も話さない。
何と言ったらいいんだろう。寧ろ言わない方が正解なんだ。なのに何を言えば…

「迷っているのなら言うのが正解です。」

俺の心を呼んだかのような言葉に、顔を上げる。
じっと俺を見つめる成瀬さんが居た。

「…あの家が……怖い。」

言った。とうとう、打ち明けてしまった。
あの家はおかしい。
何の問題もない名家、社会に貢献する立派な家柄。それは外面。実態は全く違う。
偽り、見栄、見せかけの美しさ、醜い感情…とりわけ欲望に忠実だ。
そういった問題が露呈しそうになった時の為の切り札でもあるのだから、この人はきっと全て知っていることだろう。
表向きは会社で雇っているが、家庭内の問題に日々追われているはず。

「噂が怖いのですか。」

「噂じゃない。」

「事実が怖いのですか。」

事実…。
事実を知る人に、真実を敢えて語る必要はあるのだろうか。

「話して。」

この人の言葉は魔法のようだ。
穏やかな口調なのに、まるで不思議な力があって、勇気がなかった口も勝手に動き出す。

「昔から、家が怖かった。」

「…家が怖かったのですね。」

今思うと、そうだ。あれは、暴力。見るにも耐えない。

「誰に言えず独りで抱えて、苦しかったでしょう。何があったんですか?」

「…いつも、子どもの泣き声がしていた。」

「……なぜ、兄弟がいるのに自分だけが理不尽な目に遭っていたのだろう。と、その子は思ったでしょうね。」

全部、見透かされている。
何も言っていないのに、まるで彼がその光景を見ていたかのようだ。
家に住んでいた俺すら知らないことまで、知っているのかもしれない。

「その子、は毎日泣きながら許してほしいって懇願してた。何も悪い事なんかしていなかったのに。」

「悪い事をしていないのに、許してほしいと?」

あれが罰だとするのなら、神は前もって罰を与えていたのだろうか。

「ええ…。」

「それで貴方は、未だにその傷に取りつかれている。」

「……っ。」

「話を聞いて、想像が合っていれば…ですが。」

「そうだ…。あいつは、今もきっと誰かを泣かせている。」

「ええ。」

向けられた視線が真っ直ぐ俺を射抜いて、一瞬鼓動が跳ねた。
殺した同級生の顔が刹那浮かんで、消えた。
悪を許さなかった強い意志を持った少年。
彼のように在りたいと、あの時はちっともそんなこと気付かなかったけど、本当はずっと思っていたのだろう。

「泣かせています。今も、子どもの貴方が泣いているのが見えますよ。」

見抜かれている。見透かされている。どの表現が適しているのかは分からない。
事実を述べられただけの言葉には、暖かさも冷たさもなかった。
だって、俺がその記憶を拒否しようとしているのだから。
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