アビス小説
□九死の先に
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地に叩きつけられ、動かなくなったのを確認すると、僕はその威力を確認すべく動かない魔物へと近寄った。
魔物からは獣特有の臭いと焼け爛れた肉の異臭が立ち込めていた。
「初めて発動させたにしては悪くない威力だったな…後は詠唱にかかる時間を如何に早く紡ぐか、が課題か……っ?」
視界が、揺れた。
気が付いた時にはもう遅く、一瞬魔物から目を逸らしたその隙に、魔物は最期の力を振り絞り、僕めがけ渾身の力で腕を凪いでいたのだ。
鋭い爪はいとも簡単に僕の体へと食い込み、胸の肉を真横へと引き裂く。
違和感を覚え、震える手で胸へと這わすと、そこには赤。
赤、紅、朱。
血が吹き出ていると認識した時、僕は膝を着き、前のめりに倒れた。
ドクドクと血は雪面へと広がり、大きく血溜まりを作る。
魔物は仕留められた相手への一撃を喰らわせ、今度は完全に事切れていた。
「…はっ、ぐ…ぅ!!」
立ち上がろうと、力を入れたいのにそれが入らない。
体を引きずり、這ってでも麓へ行かなければ死は確実だ。
しかし自分は山の深部にいる。麓まで行く事など不可能だ。
助かりっこないな…そう独りごちた。
動かない体からは本人の意志に関わらず雪面を温かい血で溶かしてゆく。
溶けた雪と生温い血が混じり合い、それは少しずつジェイドの体温を奪っていった。
「さむ…」
指先の感覚がゆっくり無くなってゆく。
やがて寒いと感じられなくなるほど体は冷え、硬直し始めた頃。
吹雪が僅かに止んだ。
もはや瞼すら動かせないほど衰弱したジェイドは不思議な感覚に見舞われた。
(温かい…これは、音素…?)
朦朧とする意識が急に浮上する。
体に感覚が戻り、少しずつ痛みが和らいでゆく。
うっすら瞼を上げると、そこに銀髪の美しい女性―ネビリム先生―が瞳を閉じ、唇は譜を紡いでいた。
(そうか…あれが第七音素だったのか…)
第七譜術士としての素養の無いジェイドには第七音素を認知することは出来なかった。
怪我を治してもらうことはあまり無かったが、それでも治療の際は最大限に集中して少しでも第七音素を認知し理解しようとしたが、結局それは叶わなかった。
先天的な素養の無い者には認知はどうあがこうとも、こればかりは無理なのだ。
温かな光を発しながら第七音素はジェイドを包み込み、酷く損傷した胸部を癒していく。
一命を取り留められる程度には怪我は治り、癒しの譜術を唱え終えた師の瞳が自分を捉えた。
「ネビリム先生…僕…」
「ジェイド…今はお休みなさい。まだ傷は完治していないのだから…さぁ…」
静かに瞳を閉じられ、ジェイドの意識はそこでプッツリと切れた。