短編

□ごめんと言わせて
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明くる日。私は頑張った。
食堂も廊下も校庭も、細心の注意を払って移動した。
紫の装束を見つければ踵をかえし、声が聞こえれば身を隠した。
しかし、やはり想い人というのはなによりも自分の目につくらしく、どんなに離れた姿でも、どんなに小さな笑い声でも、私の心を揺さぶってならない。
接触を断とうと誓った今、殊更焦がれてしまう。
何度声をかけようとした事か。
何度駆け寄ろうとした事か。
でも嫌悪を込めた表情を向けられるのが怖くて。
ただひたすらに会いたいという欲求を抑え続けた。


意図して滝を避け始めて三日が経った。
寝ていてもご飯を食べていても、気になるのはあの子の事ばかりで。
美味しい筈のおばちゃんのご飯までなんだか味気ない。
一体いつまでこんな生活が続くのだろう。
ああ、滝に会いたい。


滝に会えない日々が続き、流石の私も参っていた。

「…滝夜叉丸」

ぽつり。私の口から不意に零れたのは愛しいあの子の名前。
無意識に口を突いてしまう程焦がれているのかと、頭を抱えて溜め息を吐いた。
鬱々とした気分のせいかここの所鍛錬にも実戦訓練にも身が入らない。
担任も級友も注意力散漫だと叱責するどころか気味悪がるばかり
私を叱るあの子の声さえも懐かしいなと、全ての思考がそこに結びつく自分に自嘲が漏れる。
この気分のせいで支障が出ているのも事実だが、この気分を晴らすには、やはり私の場合体を動かすしか術がないのもまた事実。
上手く回り行かない現状に苦笑しながら、訓練場へと足を進めた。



体を解す為にも体術の訓練をしようか。そう思って訓練場の隅にある古ぼけた組木を目指す。
目当ての場所へ向かうため、手裏剣の練習場の前を横切ろうと足を向けると、そこには先客がいるのか物音が聞こえてきた。
設置された的へ手裏剣が刺さる鈍い音が、途切れること無く響いている。
随分熱心なやつがいるものだと、関心してそちらへ目を向ければそこにいたのは

「…滝夜叉丸」

会いたくて会いたくてたまらなかった愛しいあの子。
的に向かって一心に動作を反芻するその姿に、思わず声が漏れた。
誰に聞かれた訳でもない、相手に聞こえるはずもない程の小さな声だったが、自分の耳にはそれだけが何故か大きく響き渡って。
慌てて口を手で覆い、とっさに木陰へ身を潜めた。
しんと静まった空気に、心臓の音だけが酷く大きく響いている。
この鼓動で気付かれるのでは。
そう思えるくらい、私の心臓はどくどくと脈打っているのだ。
いつしか止んだ的を射る音が、更に私の鼓動を掻き立てる。
滝夜叉丸だった。
間違いなく彼だった。
動く度に靡く髪、凛とした後ろ姿、鍛錬に打ち込む真摯な姿勢。
すべてが目に焼き付いて離れない。
あれだけ会いたいと焦がれていた相手が、すぐそこにいる。
早く離れなければ、見つかって嫌悪の目を向けられたら、そう思うのに。
情けなくも震える両足が、ここから、彼の側から離れようとしない。

「…先輩」

隠れていた茂みががさりと音を立てる。
振り返ることは出来ないが、背後に立つ人物が誰なのか想像するのは容易い事で。
久し振りにかけられた声に、肩も心も酷く跳ね上がった。

「七松先輩…」

だらだらと冷や汗が流れ落ちる。
これまで自分を叱咤して、なんとか滝夜叉丸との接触を断っていたというのに。
ここで見つかった事で今までの苦労が水の泡と化してしまう。
私をつけていたのか、ほっといて欲しい、鬱陶しい、そんな言葉をかけたれたら。
私らしくもなく卑屈な思考が頭を占拠していく。
滝に限ってそんな事はと思ってみても、数日前の出来事を思い返すと途端に血が冷えるのを感じた。
未だ鼓動も呼吸も乱れているものの、要である足は驚きで逆に震えが止まったようだった。
なかなか反応を示さない私にじれたのか、滝夜叉丸が一歩踏み出すのを背後に感じた。
あ、と思った時には、もう勝手に体が動き出していて。
滝夜叉丸に背を向けたまま、私はその場から駆けだしていた。

「七松先輩!!」

背後から聞こえる滝夜叉丸の声に後ろ髪を引かれながらも、足が止まることはなかった。
自分の体力と足の速さに感謝しつつ、流石にもう諦めただろうかと後方を確認する。
すると小さくではあるが、紫色が未だ此方へ向かっているのが僅かに見える。
日頃私が振り回しているせいで、どうやら私についてこれるだけの体力が備わってしまったようだ。
嬉しいような困ったような複雑な心境。
そんな事を考えているうちに、滝夜叉丸はどんどん私に追いついてきて。
こんな事をしている場合ではなかったと、再び滝夜叉丸に背を向けた。

「…んぱ、い!…な、なまつ、せんぱい!」

苦しげに荒く息を吐く滝夜叉丸が、必死に私の名を呼ぶ。
その様は、私が想像していたような嫌悪や怒りを込めたものとは違っていて。
まるで懇願しているかのようなものだった。
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