短編

□ごめんと言わせて
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怒らせて、しまった…。


いつもなら口喧しくガミガミ怒る滝が、今日はただ、もういいですと呟いて踵を返した。
あれ?と思って声を駆けようとしたが、常とは違う滝の様子に、名を呼ぶことすら出来なかった。
引き止めようと伸ばした手は、彼に触れることすら叶わずに、ただ空を掴んだだけだった。



事の起こりは確かこうだった。
いつものように委員達に収集をかけ、倉庫の備品点検を始めた。
そしてこれまたいつものように、滝が皆に仕事を割り振り活動開始。
例の如く皆が分からない事を滝に聞いて、滝が倉庫内を忙しなく動きまわっていた。
滝のお陰で点検も粗方終わった頃、丁度バレーボールもある事だし気分転換でもと思って、皆で倉庫を出てバレーを開始した。
そういえば、この時滝だけ倉庫に残ったんだ。後で行きますからと言って。
結局いつまで経っても滝は来なくて、外は暗くなったしバレーも委員会も終わりにした。
金・四郎・三とはそこで別れて、倉庫に戻ると丁度滝が出てきて。
なんで来なかったんだと聞くと、委員会活動が終わってませんでしたからと言う。
そういえば備品点検の日だったなと思い出し、点検は終わったかと聞けば、私の言葉に滝が目を見開い
そしてそれは、直ぐに悲しそうな顔にかわったんだ。
その表情に驚いてるうちに、もういいですって。
それだけ言っていなくなってしまった。

いつもなら、『ちゃんと終わらせてから遊んで下さい!』とか、『今日は私がやっておきましたけど、次はしっかりやって貰いますからね!』と小言を言っても、私が謝れば、しょうがないですねと困ったように笑って許してくれるのに。
今日は、違った。
私を叱る事も何もせず、諦めたように去っていった。
頭よりも体が先に動く質の私が、あの時声を掛ける事も腕を掴むことも出来なかった。
滝の悲しそうな後ろ姿が、目に焼きついて離れない。
一体私は、どうすればいいんだろう。




明朝早く、私は四年長屋にやってきた。
こんな時間に失礼かもしれないが、滝の様子が気になった。
まだ、怒っているだろうか。
控えめに戸を叩き、滝の名を呼ぶ。
しばしの間の後、僅かに戸が開けられた。思いの外緊張していたようで、私はごくりと唾を飲み込んだ。

「た、滝夜叉丸!……え?」

乾いた喉から捻りだした声は、振り絞った勇気の甲斐なく裏返ってしまった。
何故なら、戸口に顔を出したのは私が求めた人物ではなかったから。

「滝はいません。もう行きました」

呆ける私にそう告げたのは、確か滝夜叉丸と同室の綾部喜八郎。
綾部はそう言うが、部屋の中には確かに滝夜叉丸の気配がある。
四年生にしては上手く気配を断っているが、私を誤魔化す事はできない。

「滝…」
「いません」

目の前にいる綾部も私が滝夜叉丸の存在に気付いていると察しているはずなのに、頑なにいないの一点張りで通そうとする。
無表情のままじっと私を見つめる綾部と中で息を潜める滝夜叉丸の態度に、そんなに私に会いたくないのかとがくりと肩を落とした。
朝から、ましてや他学年の長屋で実力行使に出るわけにも行かず、仕方ないかとすごすごその場から退散した。



午前の授業が終わり、昼休みを告げる鐘が学園に響き渡る。次の機会は今しかないと、担任の制止も振り切って食堂へと駆け出した。
昼休みに食堂へ立ち寄らない生徒など滅多にいない。此処で待ち伏せておけば、下手に学園内を探し回るよりも会える確率はかなり高い筈だ。
食堂の入り口近くの壁に寄りかかり、目当ての人物が現れるのを今か今かと待ち望む。
きょろきょろと人を探す私の姿に不審げな目をむけてくる者もいたが、そんな事は気にしていられない。

漸く現れた紫の装束に胸をなで下ろし片手を上げる。
滝夜叉丸、と声をかけようと口を開いた時、此方に気づいた滝夜叉丸はくるりと踵を返してしまった。

「待って滝!」

去っていく背中を追いかけて、滝夜叉丸の名を呼ぶ。
しかし絶対に聞こえているはずなのに、滝夜叉丸の歩みが止まることはなかった。
漸く追いついた彼に向かって腕を伸ばす。あの時掴むことが出来なかった腕を引こうとしたが、私が滝夜叉丸に触れるより早く、横から伸びてきた手に腕を捉えられて、またもや触れる事すら叶わなかった。

「無理強いはよくないですよ」

その声の主に目をやれば、やはり無表情の双眼が静かに私を見つめていた。
動きを止めた私に興味をなくしたのか、掴んだ手を放した綾部が失礼しますと私の横をすり抜ける。
呆然とする私を取り残し、滝夜叉丸も、そしてそれを追う綾部も行ってしまった。
またしても滝と話すことすら叶わなかった。理由を聞いて謝りたいのに、声を聞くこともできない。
一人ぽつんと取り残された私は、八方塞がりなこの状況に頭を抱え、周りの視線も気にせずに、盛大な溜め息を吐いたのだった。
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