短編

□嵐の夜は
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「じゃあ、行ってくるから」
「ああ、気をつけてな」

いそいそと鋤を担ぎ、綾部が部屋を出て行く。
開け放たれた戸から入り込んだ風で、室内を照らす唯一の光がいとも簡単に吹き消されてしまった。
がたがたと音を立てる戸。
びゅうびゅう吹く風に、その音が止む気配はない。
もう一度灯りを灯そうか。
暗闇が怖いという程の歳でもないが、戸が立てる音や、外から聞こえる風の音が些か不安を掻き立てる。
まるで何かの唸り声かのような風の音に、びくりと肩が跳ねた。

違う。決して怖いわけではないのだ

誰に対してというわけでもないが、そう心の中で言い訳をして、再び行灯に火種を近づける。
途端に明るくなった室内に、つい安堵の息が漏れた。
しかし安堵したのもつかの間。
がらりと開けられた戸から入り込んだ風によって、やっと灯った灯りが呆気なく消えてしまった。
突如消えた灯りに、盛大に肩が跳ねる。
こんな時分に訪ねて来る者に、心当たりはない。
同室の綾部も、今日は帰らないと言って出て行った。
大概の生徒はもう就寝している時間。

外部の者だろうか

戸に背を向けていた私には、それが何者なのか確認する術はない。
下手に動くと悪化しかねない状況に、冷や汗が背を伝う。
しかし、私の出方を探っているのか、一向に相手が動く気配がなかった。
先程は動揺していて気がつかなかったが、相手からは殺気や邪気といったものが感じられない。
不審に思った私は、腹を据えてゆっくりと振り向いた。
振り返った私の目に入った人物、それは…

「……、金吾?」

逆光になっていて見えづらくはあるが、何かを抱き締めて戸口に立つのは、委員会の後輩である一年は組の皆本金吾に間違いない。
途端に緊張の糸が切れて、溜め息とともに体の力が一気に抜けた。
こほんと一つ咳払いし、戸口へと近づく。
白い寝間着に枕を抱えた金吾が、不安げに此方を見上げていた。

「どうしたんだ金吾。こんな時間に」
「あ、あの…」

瞳を彷徨わせながら、金吾が言い淀む。
がさがさと揺れる竹林と、ここ一番の強風に金吾の肩がびくりと跳ねた。

「金吾?」
「滝夜叉丸先輩…」
「…とりあえず、中に入りなさい」

不安げに揺れる瞳で見つめられては、助けてやりたくなるのが人情だろう。
部屋へ招き入れて戸を閉めれば、金吾が途端に息を吐いた。

「で、どうしたんだ?」

敷いてあった布団をよけて、腰を下ろすように告げる。
ぎゅっと枕を抱いたまま、金吾が重い口を開いた。

「あ、あの、今日は同室の子が委員会でいなくて……、それで、せ、折角だし、他の部屋に泊まるのも、たまには、楽しいかなあ…、と思って…」

目を泳がせながら、しどろもどろに告げられた言葉が真意であるはずがない。
いくら勘の悪い奴でも、これが嘘だという事くらい容易に想像がつくだろう。
風が大きな音を立てる度、戸ががたがたと鳴る度に跳ねる肩こそが、金吾の気持ちを代弁している。
この位の齢にはよくある事だ。
目に見えない何かに対する恐怖心。
暗闇やちょっとした物音にでさえ、過敏に反応してしまう。
ましてや今日のような天候のなか、一人部屋に残されたなら…。
唸り声のような風の音と、誰かが叩いているかのような戸の音。
何かが部屋の外にいるのではないかと不安に思うのも無理はない。
私にもそんな頃があったものだ。

「そうか、私の部屋も今日は一人なんだ。風の音が怖くて寝付けないでいたところでな。金吾が来てくれて助かったよ、ありがとう」

そう言って頭を撫でてやれば、漸く金吾も安堵したようで。
ほっと息を吐いたあと、此処へ来て始めて笑顔を見せた。

「しかしわざわざ四年の長屋までは遠かっただろう?」
「いえ、滝夜叉丸先輩のところが一番近かったです」

金吾の返事に首を傾げる。
学年順に並ぶ長屋で、私のところが一番近い筈がないのだ。
不思議そうにする私に気づいたのか、はっとした金吾が慌てて口を開いた。

「違うんです!あの、三年生は、昨日から訓練合宿で学園にはいなくて、時友先輩は…、その…、い、いなかったんです!丁度、僕が訪ねた時に!それで、その、滝夜叉丸先輩の所に……」

わたわたと慌てて取り繕う金吾の姿に、つい吹き出してしまった。
三年の三之助がいないのは本当なのだろうが、四郎兵衛がこんな時刻に自室にいない筈がない。
大方、歳の近い四郎兵衛に一人で寝られないと知られる事が恥ずかしくて、訪ねる事さえしていないのだろう。同じ理由では組の連中の所も却下。
そんな事で人を馬鹿にするやつらではないが、分かっていても言いたくなかったのだろう。小さいながらに、金吾にだって自尊心があるだろうから。
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