小説

□差し伸べた掌に、気付いて
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※リナリーノア化




暗い大広間におどけた男の声が響く

「リナリー」

辺りを照らすのは幾つもの奇妙に笑うカボチャを象(かたど)った蝋燭

千年伯爵は編み物をしながらロッキングチェアに深く腰掛けている

そこから一定間隔で伝わるリズミカルな振動

比較的機嫌がいい時の証拠だ

「御呼びでしょうか?」

リナリー・リーは伯爵に向かい恭々(うやうや)しく頭を下げ、ワインレッドのロングスカートの裾を持ち上げた

「ノアには慣れましたカ?」

「ええ、それはもう」

黒い靴の適性能力が無くなり、リナリーはノアに覚醒

誰にも告げず一人教団を抜け出してきた

「リナリー」

「はい」

「もうエクソシストは倒すべき敵となったのデス」

うまく、言葉が出てこない

リナリーはわずかに目を伏せ、淡々と告げる

「存じています」

お仕着せの無難な言葉が頭に浮かんでも、口がそれを表すのを邪魔する

リナリーをじっと見て、伯爵が真顔で問いかけてくる

それはまるで、悪魔の囁きのようだった

「期待してますヨ?」

「よしなに」

伯爵に一礼し、踵を返すとその場を後にした




「おめでとう。リナリィー!」

廊下を歩いていると、前方から片手にレロを持ったロードが話しかけてくる

彼女は満足げな笑みを浮かべる

その笑顔は、人の愚かしさを嘲笑うのがこのうえもなく楽しいと、雄弁に語っている

「これで君も、僕たちの家族だね」

舌でくちゃくちゃと飴を転がす音がやけに耳に響く

リナリーは何も言おうとしない

「綺麗ごとを吐くエクソシストなんかと一緒にいなくたっていいんだよ」

「きれいごと」という言葉は、あまりいい意味では使われない

社交辞令、建前、机上論、詭弁、屁理屈、上辺の言葉エトセトラ、実が伴わないことのような印象を持つ

そして、よくないことのように捉えてしまう

凛と凍えた夜空

「あっ、噂をすれば……エクソシストがやってきたみたいだね」

飢えた獣のように、今にも戦いに飛び出しそうなロードを右手で制し、一歩前へと進む

「リナリー?」

「ここにいて。私が相手をするから」

視線で合図を送ると、それを察したのかいたずらっぽく唇を彼女の耳に寄せて

「わかったよぉ……今回は譲ってあげる」

と言い、つまらなそうに一歩、身を引いた

胸を張り、悠然とした歩みで、目の前の敵として認識することしかできなくなった白髪のエクソシストと対峙する

視線の先には見知った顔が、息を切らして立っていた

「リナリー」

「アレン君」

言葉を探す二人の視線が重なったとき、リナリーの目は嬉しそうに細まった

よく来てくれたわね、と表情は言っている

が、その表情は次の瞬間一変した

厳しく、哀(かな)しそうなものへ

「アレン君、一緒に来ない?」

困惑の色がアレンの顔をよぎった

きっ、とアレンの眉間に皺が刻まれる

「何言ってるんですか? リナリー」

威圧に動じず、静かな怒りを込めた言葉を投げかける

「私はもうノアの一部なの。敵であるエクソシストとは一緒にいられないわ」

小さくなった声で紡がれた言葉は、過去形だった

黒い靴の適合者、エクソシストのリナリー・リーは今は、もう、いない

彼女の色濃い悲しみを敏感に感じとったアレンの表情が不安の色に染まる

「でも……アレン君となら」




しかし、「きれいごと」とは、そこまで否定されるべきものだろうか

こんな殺伐とした社会でも、ヒット曲には、歯の浮くようなきれいな歌詞が多いし、人気ドラマや映画には、現実には有り得ないような美談が多い

そしてまた、人は、フィクションとわかっていても、感動する話、泣ける話が大好きで、いわゆる「きれいごと」を前面に出したものがウケる

それは何故か……

それは、人間は、「きれいごと」を好む動物だから

つまり、人の心には、「汚い思いは持ちたくない」 「きれいな生き方をしたい」という普遍的な本性が潜在しているからなのである

しかし、そこまで「きれいごと」を好むわりには、普段、汚い想いばかり抱え、汚い行いばかりを繰り返す……

欲にめっぽう弱く、「善くない」とわかっていても悪に走る

目や耳から入る「きれいごと」が、実際の自分の生き方に適応できない

人間には、「きれいに生きたい」と願いながらも汚くしか生きられない、悲しい性があるのである

そこのところに、「きれいごと」が否定的なニュアンスを持ってしまう由縁があるのだろうと思う

この私もモロにそう

きれいに「正しく」生きることを願っているのに、そう生きられない

教団のみんなやコムイ兄さんの前では「善い妹」を演じてはいるが、実のところ、結構「悪い女」

「クセ」がなさそうに映るかもしれないけど、結構な「クセ者」

人を斜に見るのが大得意で、長所を褒めず短所を批判

人がくれる建前を冷淡に受け流し、本音を黒く読む

それは、仕事に対しても同様

遺族やアクマとなった死者を思いやるような態度はとるけど、内心は極めて自分本位

「きれいごと」を吐くけど、どこまでが本心なのか……かなり怪しい

「本当に、死者の冥福を祈っているか?」

「本当に、死者の尊厳を守ろうとしているか?」

「本当に、死者の死や遺族の苦境を悼んでいるか?」

「本当に、アクマが癒されることを願っているか?」

「自分の働きは、献身的なものと言えるか?」

自分に問うてみても、残念ながら、その答えはすべて「ノー」

そんな気持ちがまったくない訳ではないけど、所詮は、一時的な感傷と区別がつかない程度のもの

自愛に慈愛の皮を着せ、自分の偽善に浸っているだけ

結果、私は、自分のため、自分が生きるためにこの仕事をしているのであって、決して、遺族や死者(アクマ)のためではないことを再認識させられる

「アレン・ウォーカー……貴方に運命をあげる」

ある意味で、人間は汚い

腐っている

どこまでも邪悪で、どこまでも愚かで、どこまでも醜い

しかし、どこまでも美を求め、どこまでも善を求め、どこまでも生を求める

だから……

人は「きれいごと」を求める

人は「きれいごと」を言う

人は「きれいごと」を喜ぶ

そして、この人生に、この社会に、「きれいごと」は必要なのである




差し伸べた掌に、気付いて



(これが私から貴方に与える最後の選択肢)






お題拝借、闇に溶けた黒猫様


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