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□一縷の願い
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女は男の手を楽しそうに触ったりつついたりして遊んでいた。
成熟した艶かしい体に反して、あどけなさを色濃く残す女の姿を、男は静かに眺めた。
双眸を細めながら小さく笑い、白魚のような指を男のそれに絡ませる。何度も何度も絡ませる。
夢現とした光景を前に、男はぼんやりと言葉を発した。

「…お前さん、そんなことして楽しいか?」

ふと、一寸の間女の手が止まる。波打つ髪がさらりと落ちた。
こんな節榑立った汚い手なぞ触っても、面白くも何とも無いだろうにと無関心に思いながら、男はお世辞にも綺麗と言えないごつごつとした手を広げる。
だが女はゆっくりと視線を男に向けると、くすりと笑みをこぼした。

「楽しいわ……だって市、穴熊さんの手好きだもの……」
目を伏せながら笑った女に、小さく目を丸くした。
凄艶な笑みに長い睫毛がゆらゆらと揺れる。女の顔に柔らかい影が出来た。
短くそうか、とだけ呟いた男の素っ気ない返事に気を悪くすることもなく、女はまた指を絡ませた笑んだ。
「うん…うん…そうなのよ……ふふ」

再び手遊びを始めた幼子の瞳を、男は伸びた前髪の隙間から見据えた。
女の瞳には光なぞ存在しない。
ただそこには底無しの闇が広がっているだけだ。
幸せも悲しみも曖昧にしか感じられず、言われるがままに生きる女。
この闇を光に変えるなど滑稽で無理な話だ。自分ならそんなこと初めから思わないし、もしそう嘯く奴がいるのなら腹を抱えて嘲笑ってやりたい。

(まぁ、わからんでもないがな…)

女を眺め自嘲気味に微笑んだ。
男とて変えてやりたくない訳では無いのだ。出来るならもっと光を映せるようにしてやりたいし、僅かでも闇を取り除けたらと思う。
硝子細工のような瞳に、闇以外のものを映して欲しい。
だが簡単にそう言わせてくれない、そんな何かがその闇には確かに存在するのだ。
ただの人にはどうしようも出来ないと思わせる、何かが。

それでも、と男は女の瞳を見つめた。少しでもその闇を取り除いてやりれたらと。
ほんの僅かでいい。深い闇がましになればと願わずにはいわれない。
己でよければ幾らでも傍にいてやろう。独りだと嘆き泣くことが、少しでも減れば。

女が楽しげに笑う。笑う。
闇が痛嘆と叫ぶ。叫ぶ。

小さく息を呑む音がした。
男は赤い花唇に口付けた。触れるだけの口付けだった。夢心地な女の甘い香りが鼻孔を通る。

(……頼むから、何処にも行ってくれるなよ)

短く口付けた後、男はそのまま女の首もとに顔を埋めた。
女は一瞬驚いたあと、嬉しそうに微笑み甘えるように頬擦りした。
「ふふ……どうしたの、穴熊さん…?」

鈴を転がすような声が耳に響く。
女の身体は酷く冷たかった。



 


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