逆転外伝
□魔法学校物語
4ページ/19ページ
2.
「……着きましたよ」
と、マクゴナガルに言われなければ、龍一は通り過ぎていただろう。
決して小さい店ではないのに、何故かその存在感は非常に薄く、彼は僅かに目を細めた。
「……なんだろう……。気の流れが少し違う……いわゆる結界、みたいなものですか?」
龍一とて3年間はみっちりマホウトコロで学んだのだ。霊力、あるいは魔力、気の流れーーー言い方はさまざまだが、それら力の流れを読むことは出来る。
わざと目立たなくしてあるのだろうと踏んでそう訊くと、マクゴナガルは驚きながら頷いた。
「マグル避けの魔法を施してあるのですよ。あなたは魔力の流れがわかるのですか?……既にそれほどのコントロールが出来るのであれば、何も問題はないですね」
と、マクゴナガルは微笑んだ。
とどのつまり、魔法とは自分の中の魔力をコントロールし、杖を媒体として外部に働きかける力である。
その魔力のコントロール自体が難しく、センスがなければ『落ちこぼれ』となるのだが、必要な呪文さえ覚えれば彼ならすぐにでも使えるようになるだろう、とマクゴナガルが考えるのをよそに、龍一はそうなのか、と考えていた。
マクゴナガルに促され、店内に入ると中は薄暗く、少々風変わりな服を着た人々が思い思いに何かを飲んでいる。
「おや、マクゴナガル教授。珍しいですな」
グラスを磨いていたバーテンに呼び止められたマクゴナガルはええ、と軽く頷いた。
「生徒の付き添いで、ダイアゴン横丁へ参ります」
「ほう。では、マグル出身のお子さんですか」
ふと、バーテンがこちらを見たので、龍一はぺこりと頭を下げておいた。
こちらには会釈という礼儀はないかもしれないが、まあ、下げておいて損はないだろう、たぶん。
「ホグワーツで初めての東洋からの入学者ですよ」
マクゴナガルの言葉に、バーテンは「ほう」と唸った。
「賢そうなお坊ちゃんだ。名前を教えてくれるかい?」
「成歩堂……あ、リューイチ・ナルホドウです」
黒い髪に黒い瞳、僅かに黄味がかった白い肌は東洋人の特徴だが、龍一の瞳は僅かに青く、虹彩の輪郭がはっきりとした不思議な眼差しをしていたりする。よく見れば、という程度の違いなので日本人の中でも浮きはしなかったが。
「リューイチか。英国にようこそ。歓迎するよ」
「あ、ありがとうございます」
思わぬ歓迎をされて少し固まっていると、マクゴナガルがやんわりと促してくれた。
「さあ、Mr.ナルホドウ。こちらへ」
「は、はい、Ms.マクゴナガル。いや、えーと、プロフェッサー……ってことは教授になるのか」
彼は日本語で呟いてから、改めてマクゴナガルを見上げる。
「マクゴナガル教授、でよろしいでしょうか」
ティーチャー、つまり''先生''ではないのだな、と思いながら尋ねると、マクゴナガルは頷いた。
「そうですね。特にホグワーツではそう呼ぶように」
「はい」
龍一は頷き、二人はそのまま店の裏側に移動した。
その場所は赤煉瓦の壁が立ちはだかるどう見ても行き止まりで、これからどうするんだろう、と思いながらマクゴナガルを見た。
「ナルホドウ。私の杖の動きをよく見て覚えておくように」
とマクゴナガルは赤煉瓦の壁を順番にブロックごとに杖で突ついた。
すると、その赤レンガがスルスルと横にズレて行き……目の前には驚くような光景が広がっていた。
これぞ魔法使いと言わんばかりの変わった格好の人々が道を歩き、道の両隣には様々な店が軒を連ねている。
そして遥か前方には白亜の建物が見えた。
「うわ……」
「ここがダイアゴン横丁になります。まずはグリンゴッツ銀行に向かいますよ」
「は、はい……!」
さしもの龍一も思わず上擦った声を出してしまう。
「……辺りをキョロキョロし過ぎて、迷子にならないようにしっかりついてくるのですよ」
「わ、分かりました……!」
マクゴナガルに言われて気を引き締めた。
この人混みである。一度逸れたらすぐに見失ってしまうだろう。
マクゴナガルを見失わないように、龍一は雑踏を掻き分けながら進んだ。
そしてダイアゴン横丁に着いてすぐ、遥か前方に見えた巨大な白亜の建物に二人は入った。
どうやらその場所がグリンゴッツ銀行とやらで、中では背の小さな鬼(失礼ながら餓鬼の絵姿にそっくりだ、と龍一は思ったが、マクゴナガルがこっそりとゴブリンだと教えてくれた)が忙しなく働いていた。
神殿のような厳かな作りはその白壁も手伝って、まるでギリシアの神殿のようである。
「いらっしゃいませ」
正面のカウンターに座るゴブリンが慇懃無礼にマクゴナガルに頭を下げると、彼女はしゃんと背を伸ばして告げた。
「ポンドの両替を」
「かしこまりました」
促されて、龍一は慌てて財布から紙幣の束を出す。
魔法界の通貨は全て貨幣だと聞いてはいたが、価値まではよく分からないので、このポンド紙幣が魔法界ではいくらになるかはよく分からないのだが。
「両替が終わるまでに教えておきましょう。金貨はガリオン、銀貨はクヌート、銅貨はシックル。1シックルは29クヌート、1ガリオンは17シックルです。覚えておきなさい」
「はい」
とは返事したものの、10進数に慣れた日本人にはなかなかツライものがある。
「(なんでキリよく10……せめて20じゃないんだろ)」
だいたい、コインを大量に持ち歩くのは重くないだろうか
何故紙幣はないのか
などと考えていると、意外なことから理由が判明した。
両替された大量の金貨や銀貨をみた龍一が、財布に入らないなあ……と困った顔をしていると、マクゴナガルががま口のような小さな財布を取り出した。
その財布に向かって杖を一振りすると、彼女は大量の貨幣を財布に入れ始める。
明らかにキャパオーバーに見えたのに、お金は全部財布の中に入ってしまったので思わず目を見開いて口を開けた。
「えっ……全部、入った……」
「今のは検知不能拡大呪文と呼ばれるものです。空間を確保する魔法なのですよ。熟練者になれば、例えばトランク内に部屋が丸ごと出来るほど空間を広げることが出来ます」
「……えっ、魔法……すごっ」
あんまりと言えばあんまりな情報に呆然としながら日本語で呟くと、マクゴナガルは財布を手渡した。
「私からの入学祝いですよ。ついでに泥棒避けの呪いもかけてあります。大切に使っていただけると嬉しいですが」
「あっ、ありがとうございます!」
慌ててお礼を言って受け取るが、量はもちろんのこと、重さまで感じないその様子にこちらの魔法使いは嵩張るから、という理由で紙幣を発行する必要がないのだーーーと思い至る。
「(便利なんだか不便なんだか……よく分からなくなってきた)」
ともあれ、この検知不能拡大呪文とやらは絶対に覚えるぞ、と気合いを入れた龍一であった。
そしてちょうどランチタイムという時間だったので、マクゴナガルは横丁内にある軽食店に案内した。
テラス席に出て、サンドイッチと紅茶のセット(とてもイギリス人らしい)を食べ終わってから彼女は少しだけ話題を探しているようだったが、やがて口を開いた。
「今年のホグワーツは少々騒がしいことになっておりますから、先に説明しておくと致しましょう」
マクゴナガルは紅茶を一口飲んでから続けた。
「ナルホドウはこちらの近代史は読みましたか?」
「軽くですけど。確か1945年に、ホグワーツの校長がグリンデルバルドという悪い魔法使いと決闘して勝利したとか、あとは近年までヴォルデモート卿と名乗る悪い魔法使いがいて、10年前に敗れ去ったとか……」
当然ながら''ヴォルデモート''という名前に全く恐怖を感じない龍一がそのままストレートに名を出すと、マクゴナガルは僅かに顔を青褪めた。
「Mr.ナルホドウ。その名を直接呼ぶのはこちらではあまり好まれません。話題に出す時は''例のあの人''と」
その様子に、こっちの人はよほどその悪い魔法使いにめちゃくちゃにされたんだな、と思い素直に頷いた。
「分かりました」
「結構です。……そうですね。実は敗れ去ったというのも正確ではないのです。消えた、と申す方がより正確ですね」
と言ってマクゴナガルは説明してくれた。
例のあの人はとある一家を狙っていた。
そして一家の父と母は例のあの人に殺されたが、一人、その家の赤ん坊だけは生き残った。
そして例のあの人は消えてしまった、というのが真相らしい。
「えっ、じゃあイギリス中から恐れられた魔法使いは赤ん坊に返り討ちにされたってことなんですか?」
そんなマジカルミラクルベイビーがいるのかと驚いていると、マクゴナガルは僅かに息を吐いた。
「その時のことは誰にも分からないのですよ。ただ、これだけは言えるのです。例のあの人は赤ん坊に呪いをかけた。しかし、赤ん坊は額に稲妻のような傷一つで生き残り、例のあの人は姿を消して、今に至るまで影すらありません」
なんだかモヤモヤする話だなあ、と考えていると、さらにマクゴナガルは告げた。
「生き残った男の子、ハリー・ポッターは今年度の入学です。あなたとは年齢は違いますが、同年生になりますので、先に言っておきます」
「……へ?」
なんてこった……
龍一は思わず天を仰いだ。
→