短編

□文久三年八月十八日、三日前
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少し小腹がすいたなと思い辺りを見渡すと、ふと蕎麦屋目に入る。

暖簾を潜ると嫌な臭いが鼻を突いて、とっさに鼻をつまむ。酒の臭いだ。
なんで蕎麦屋なのに酒の臭いがするんだと顔を歪めて悪態をついた。
あまりにも強い臭いの発生源は直ぐに分かった。いや、臭いを頼りにしなくても分かる程騒がしい浪士たちが目につく。横切る振りをして耳を傾けると、会話の内容はほとんど幕末を侮辱するような言葉が飛びかっていた。

ああ、こいつら倒幕派の奴らか…。

しかし同じ同志として恥ずかしいったらありゃしねぇ。兄貴がこの場にいたらどうしたらだろう。
「恥知らずが」と吐き捨ててそのまま全員皆殺ししてしまいそうだ。
そう考えると自然笑みがこぼれた。
命拾いしたなと言ってやりたい。

そのまま通り過ぎてすぐ斜め横に空席を見つけた。…相席だが。
他の席なんてもうないし、ちょうどこいつらの行動を監視するにはいい席だ。まあどうせ相席の人間と話す気はない訳だし。

前に座る相手に目をやる。…少々童顔だか、俺と年齢はさほど変わらないだろう青年が頬杖を付きながらある一点を見つめていた。

そのある一点は俺がさっき通り過ぎた浪士たちの席。
あんなに騒がしいのだから、この場にいる客全員が注目してもおかしくはないのだが、この青年以外は皆、関わらないようわざと見ない振りをしていた。

「…、」

だが青年は未だ視線を動かさない。ただ見ているだけではなく、じっと何かを探りだすよう見ている。

「おい」

恐る恐る声をかけたのだが、その視線は動くことはなく返事だけが返ってきた。

「ん?」

「お前、あいつらの仲間か?」

「や、ただの人探し。」

探しているのであれば他の客も見ればいいのに…その瞳は動くことを知らないようで俺さえも視界に映さない。
別に見てほしいとかそういうのじゃなくて、ただ人と話してるとき目を合わせないでいるのは失礼だろう。悔しくなってもう一度口を開きかけたが、青年がそれをさえぎる。

「第一、俺は奴らとは反対の佐幕派の人間だからな。…あっちは気が付いてないみたいだけど」

その時、俺の頭の中でぷつんと何かが入れ替わるような音がして、反射的に刀の鍔に親指を乗せた。

こいつはあの浪士らの敵で
俺はあの浪士と同志で
じゃあ目の前のこいつは敵?

なら、斬らなければ。自分のまわりに流れていた空気が冷たくなったように感じた。キッと青年を睨み付ける。
この殺気に青年は気が付かない。間抜けな奴めと小さく呟いて嘲笑した。

「で、今から斬り込みに行く訳?」

そう俺は青年を煽る。

目の前の青年が「そうだ。」と答えるのであれば直ぐに刀を引き抜く。
斬らなきゃという使命感よりも斬りたいという感情が今自分を支配していた。青年の正体など興味はない、敵であればさっさと切り捨ててしまおう。
そうしなければ酔ったあやつらが何を喋るか分かったもんじゃない。

しかし、青年の答えは俺の予想とは全く違った。

「…誰がするか。そんな面倒なこと、せっかくの非番なのに」

この台詞で初めて目が合う。
俺の顔を見るなり変なものを見るような目で見られた。其れもそのはずだろう、だって俺はまさかの青年は発言にあっけにとられていたのだから。さぞ、変な顔だったんだろう。

「は、何でだよ。おかしいだろ」

むしろおかしいのはそっちの方だと言っている様な目が俺を一瞥して、また浪士たちの方へ向いてしまった。いや、まて、その目をしたいのは俺のほうだ。
この青年には欲がないのか。
もう、あの浪士たちは重要な情報でも持っていたらどうするんだ。捕まえたら大手柄だぞ。
それなのに何もしないでただ傍観しているだけだなんておかしすぎる。
駄目だ、こいつの思考はよう分からん。絶対俺とは正反対だな。

ここで試しに打ち明けてみる。

「なぁ、もし俺があいつらの仲間で・・・あんたを斬ろうとしたら?」

頬杖をついていた青年の手がぴくりと動いたのを俺は見逃さなかった。さて、来るか?
気が抜けて離していた手を、もう一度刀に手を伸ばす。

青年は答えた。また俺の予想を越えて、

「そんなん、もうとっくに気がついてる。」

「え?」



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