BLEACH部屋

□菊花咲乱
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流石に目を合わせる勇気はない。

床に拡がってくしゃくしゃになっている着物をたぐり寄せて体を覆うと、大嫌いな色の腰紐に手を掛けた。
こうして朝ごと夜ごとに同じ儀式を繰り返していくんだろう。

“馴れてしまえば案外早く終わっていくものだ。”

内側から囁いてくるこの冷めた声が自分を生かす。


「ありがとうねギン。」


これは本心からの言葉だった。

ありがとう来てくれて
本当に本当に嬉しかったのよ。
だけどもう二度と来ないで欲しい。

黙ったままこっちを見ている彼の視線を避けるように顔を振り上げる。


「ねえギン‥」


彼が最も軽蔑するような台詞を探した。


「あたし今夜もお客をとるのよ。」


“だからもう帰って。”

暗にそんな意味を押し込んだ言葉。
女将の話では七日先の客まで決まっているという。

嘘はいつだって必要だ。
この世界で生きていくための必需品に違いない。

特に自分のことは上手に騙していかなければとても耐えられない。

すっくと立ち上がった彼の気配を背中で感じながら、あたしは畳の細かい目だけを見ている。

いいんだ
自分が忘れなければそれでいい。
充分よ。

いつか離れるものなら今消えてしまって

‥ごめんね



戸口に向かいかけた足がキュッと音を立てて止まる。


「乱菊」

「それ、僕なんや。」


長くてしなやかな指が乱菊の肩を掴んだ。


「嘘」

「嘘やない」


「うそ‥」

「そない言うても許さんよ。」


流し尽くしたと思っていた涙がまた溢れてきた。

あんたどれだけお人よしなのよ。
こんな勝手な女、放っておきなさいよ。

突っぱねようとした手を熱い掌に包まれたらもういけなかった。

明日もあさってもその次も、とギンは言う。




“あんた、あたしをどうしたいの?”





その問いは今にまで引き継がれている。

乱菊が遊郭の窓から半欠けの月を眺めて考えること。

かつて自分が知っていたギンは決して金持ちの家の子供などではなかった。
ギンの家族‥といっても思い浮かばない。

貧しかった乱菊の一家は何かの事情で東(あづま)の国から移り住み、京の北、都から外れた荒れ地みたいな場所にささやかな小屋を構えていた。

遊び相手もおらず家の周りをぶらぶらしていた乱菊にギンが声をかけたのが始まり。

他に子供が居なかったのも手伝って2人は直ぐに親密になった。
子供時代に特有の我を忘れてのめり込むような友情だったと思う。

友達‥
母さんも父さんもあんまり構ってはくれなかったから、自分にとってギンが家族みたいな存在だった。

あの子は何処からやって来たんだろうか?
何者なんだろうと今更のように思う。



「あんたどっから来たのよ?」

「僕?さあなぁ」


笑ってはぐらかすギンを乱菊は子供の心でなんとなく受け入れていた。

お稲荷さんの使いじゃないだろうかとか。
森に住む狐の子と遊んでるのかと疑ったりもした。

明日もあさってもその次も
あたしだけの大事な大事なお友達。

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