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□晴樹の場合
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――今日も空は青く、視界は馬鹿みたいに狭い

朝から世界が騒がしいのはもう既に条件反射みたいなもので、諦める他ないと、気付いたのはもうだいぶ昔の話だ

平穏なんて望めるはずもない日常が、今日も幕を開ける――




「うっせぇ…」

ならばせめて始まりくらいこちらに選ばせてくれたっていいものを、今日も今日とて世界はそうはさせてくれないらしい。

けたたましく耳元で鳴り響いた携帯の着信音に悪態を吐きながら乱暴にその音源を掴み取り、名前も確認せず通話ボタンを押す。しかし直ぐにその無意識の行動を死ぬほど後悔した。

『あ、おっはよ〜晴樹。もう起きた?朝ご飯はすき焼きでいいからね。あ、ハンバーグでもいいかな、勿論デミグラで!あと飲み物はねぇ――』

ブツ、

全て聞き終わる前に通話を切る。朝から頭が痛い、この上なく痛い。

溜息を吐いて起き上がり、時計代わりに携帯のディスプレイを見るとまだ朝の6時。いつもならあと一時間は寝れる時間だ。ちなみに仕事が終わって寝たのは夜中の三時だった。当然ながらまだ眠い。再び携帯を放り出し布団に突っ伏す。しかし五分としないうちにまたもや携帯が鳴り響いた。

また同じ人物であることを確認し、無視しようとするがまるで嫌がらせの如く携帯は鳴り続ける。
仕方なく取るとまたもや鈴を転がしたかのような高い能天気な声が耳元で響いた。

『あー、やっと出た!なんで切っちゃうんだよ〜。あ、そうそう飲み物はトロピカルジュースでいいからね。中身はマンゴーとオレンジで、あったらタピオカも買ってきてね!そんで――』
「死ね」

ぶつり、

通話を切った意図がうまく伝わっていなかったようなので、今度は正確にそれを口にしてから切った。

さっそく携帯を放り出し再び布団に潜り込むと、しかしその瞬間またもや携帯が鳴り響く。深く溜息を吐いて仕方なく通話ボタンを押すと、今度聞こえた声は同じ人物でありながらも先のと違い、その声には微かに怒気が含まれていた。

『ちょっと、どういう訳さ。晴樹のくせに生意気だぞー?あ、スープも欲しいな。コンソメでいいから。デザートは』
「あのな、俺まだ寝てんの。大体なんで俺がお前の飯作ってやんなきゃいけねぇんだよ、しかもオーダーメイドで」

またもや延々と飯のメニューを述べ始めたのを聞いて、無視するのは無理だと判断して口を挟む。しかし案の定、電話の向こう側の主は全く諦めていないようだった。


『だって晴樹のご飯おいしかったじゃん』
「……………」

会話が成り立たないことに軽く眩暈と、絶望感すら覚える。

まるで宇宙人を相手にしているようだと眉間に皺を寄せながら、晴樹――笹沼晴樹は再び口を開いた。

「知るか阿呆、だったらテメェが俺の時間に合わせて食いに来い」
『無理ですぅー。私もう出勤してるし晴樹の家知らないもん。いいじゃん、同僚でしょ?』
「たかが同僚にそこまでしてやる義理はどう考えてもない。分かったらもうかけて来んな、眠いんだよ。じゃあな」

そうだ、同僚なのだ。

これが曲がりなりにも妹だったり彼女だったりしたならば、状況と条件によっては考えてやらんこともなかった。しかし同僚だ。しかも好きでもなんでもないどころか、むしろ嫌いな部類の人間だ。
あつかましいし喧しいし自分勝手で自己中心的。世界は自分中心に回っていると信じて疑わないような稀に見ない暴君器質。根は純粋なのだろうが手に負えない。そんな奴の面倒を甲斐甲斐しく見るなどまっぴら御免だ。

口を挟ませる間を与えず乱暴に通話を切って苛々と携帯を放り投げると、しかしまたもやその瞬間携帯が鳴った。

「……………」



もう何度目か分からない溜息が自然と口から零れ落ちる。







もう諦めるしかないのかもしれない。

否、そんなことは最初から分かっていたことだ。しかしそれでも、いつまでも戦うことをやめることが出来ないのは、

決して、諦めないと決めたその先に

ナニカがあるような――、

その先のものを、知っているような気がするからなのかもしれない。

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