Ge×3

□しあわせ
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逢いたくなったのは、
単なる僕の我が儘。
だから冬の雪山を、
僕はただ黙々と歩いた。
馴れない冬の、険しい道に
あちこちが辛い。

はずなのに、僕はただ頂上を、
妖怪刑務所を目指していた。
期待で身体を、奮わせながら。

ただあの人に、僕は逢いたくて。





しあわせ





「こちらで少々お待ち下さい。
今呼んで参りますので。」

「ありがとうございます」


大天狗の間に通されることを断り、
僕は大人しく客間で待つことに。
まだ火鉢を入れたばかりの部屋は
火元を離れれば、屋内にも関わらず、
突き刺すような寒さ。

あの人がこんな寒さの中で働いている。
そうと考えると、僕は改めて彼自身への
謹厳さと、自分が自分を期待で
甘やかしていることを思い知らされる。

そんな気がした、劣等感のような。


「…−鬼太郎殿」

「…あ、」


いつの間にか、火鉢の向こう側に
黒鴉さんが、逢いたかった貴方がいた。
僕の顔を覗き込む人は、少し心配そうに
眉根を寄せている。


「驚かせて申し訳ない、
部屋に入る時に断ったのですが…
返事が無かったもので。」


ぼうっと、生温い自己嫌悪に
陥っていた僕は、彼の入室にさえ
気付けなかったらしい。

まぁ当たり前だ。
この人のことで意識を充たせば、
他に何の余裕が僕にあるのだろう。


「いえ…こちらこそ。
突然来て、すみません。」

「大丈夫ですよ。私の本日の勤めは、
ちょうど終えたところですから。」


そう言って黒鴉さんは微笑んだ。

僕は不安だから、この人の笑顔を
見たくなるのに、彼の笑顔を見ると
不安になる。

求めているのは僕だけではないのか、と。


「…鬼太郎殿大丈夫ですか?」

「……え、ああ…大丈夫ですよ。」

「しかし…顔色が良くありませんし…
冬の雪山がお体に障りましたか?」


その言葉の誤正を明らかにするために、
彼の手が顔と首筋の間に、
髪を割って入ってきた。

彼の指と僕の温度差と、


「っ…!」

「あ!すみません…
冷たかったですか?」


身を縮めた僕に、黒鴉さんは
申し訳なさそうに言う。そして
彼は少し困ったような顔をした。
しょんぼり、という表現も、
正しいかもしれない。

僕はもちろん大丈夫だと答えた。
もちろん、その手の凍えには驚いた。
しかしそれ以上に驚いたのは…


「あの…手、痛くないんですか?」

「手?……ああ…」


霜焼け、ささくれ、ひび割れて。
青い裸の指に紅い傷、ぱっくりと
開いた花弁の、曼珠沙華を思わせる。
しかし痛々しいそれさえ美しいのは、
僕の欲目かうつけた頭が原因なのか。

僕が思わずじっと見入っていたけど、
黒鴉烏さんは恥ずかしそうに指を隠した。
まるで醜いものでも見せてしまった
かのように、その傷だらけの指を見て。


「いや…痛くはないですが…
やはり恥ずかしいですね。」


特に、貴方の前では。

隠しながら火鉢に照らす手は、
やっぱり毎日の労働と寒さに荒れていた。

先程は冷たさと霜焼けなどに
ばかり気を取られたけれど、
また改めて盗み見ると、
それは傷だらけ。

やはりこの人の毎日は忙しいのだ。


「こんな傷だらけの指など、
見苦しいでしょ?」


「そんなことありません。綺麗ですよ」
僕はそう言おうとも思った。
けど、止めた。

彼が見苦しいとしたものを、
わざわざ僕の価値観や欲目で
振り回したくはなかったから。

でも僕には黒鴉さんの指が
美しく見えたのは事実だ。
だって強くて優しい。
僕とは違う。厳しくて強いものだ。
それなのに僕には優しい手、優しい彼。

僕は他に繕える言葉も無く、
ただ黙ってしまった。
何の為に来たのだろうと、
意味さえわからなくなってしまうのに。


「ところで…鬼太郎殿。
今日は泊まって行かれますよね?」


無意識なのか響く低い声にドキリ、
胸が騒いだ。無断な期待が勝手に
湧いてしまう。

浅ましい僕の頭には、
確かに彼に対する情欲が生まれて。


「あ、…いえ、そんな」

「今から山を降りれば、
いくら鬼太郎殿でも危ないですよ。」


窓を見れば西日が、
雪に反射して輝く。
その光はギラギラと、
僕の片目を射すようだ。

確かにこの様子では、
雪解けや吹雪は心配だ。


…でも、申し訳無い。

僕は遠慮に託けて、
本当は早く帰りたかった。
いや、僕は黒鴉さんと居たい。
でも彼の前で、僕は酷く情けない。

ああ、自身の中に巡る願望を否定して、
それをまた否定して肯定して、また否定。
延々と続くんじゃないのだろか、
この憂鬱さは。


「でも、やっぱりいいですよ。
黒鴉さんに迷惑掛けたくありませんし。」

「……では、こう言えばいいんですか?」


突如伸びてきたあの彼の手が、
僕の手を掴んだ。
優しい手が、強い、熱い。

逃げられない、だって彼の手だ。
だって彼の手は強いから。
だって彼は、黒鴉さんだから。


「ずっと会いたくても会えなかった貴方を、
今夜は離したくはありません。」


とても真剣な瞳で、僕は射抜かれた。

そして安心する。
僕だけでなくこの人も、
黒鴉さんも僕に会いたいと、
思ってくれていたことに。


「…駄目ですか?」


声が出ない。
息も止まりそうなほど、
心臓が高鳴っている。

だから返事の代わりに、
その手を握り返した。




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