短篇

□please call my name
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「なぁ」
「何よ」
「お茶」
「……」

 同棲生活三ヶ月目にして大ピン
チ。日々募る不満を、あたしは我
慢できなくなってしまっていた。
 同棲相手の圭介は高校時代から
の恋人で、同じ大学に合格したの
を機に親元を離れ、同棲を開始し
た(親には女友達とルームシェア
って言ってあるけど)。万事上手
くいっていた。……はずだった。
つい、この間までは。
 最近、圭介はあたしを名前で呼
ばなくなった。別に、いつまでも
付き合い始めの気持ちを持ってい
てほしいとまでは思わないけれど
人として最低限守らないといけな
いルールだとあたしは思う訳で。

「単語しか喋れないの?」
「でも、判るんだろ」
「……うん」

 哀しいかな、付き合いの長さが
裏目に出て圭介の言いたいことは
伝わってくる。だけどそんな通じ
方はあたしの望んでいないこと。

「はい」

 冷蔵庫から出してきたお茶を少
し乱暴にテーブルに置いてみた。
それでも、彼に怯む様子は全くな
い。悪い意味で年季の入った夫婦
みたい、と思った。すると、ふと
ある単語が脳裏を過ぎった。
 ──そうか、このことなんだ。
『倦怠期』って。
 そう思い妙に納得すると、無性
に腹が立ってきて。

「……あたし、慎一のとこ行って
くるね」

 言って簡単に身支度する。時間
は夜十時過ぎ、当然外は真っ暗。
そんな時間に男友達の部屋に行く
と言えば、きっと呼び止めてくれ
るだろうと思ったのだ。
 だけどあたしの考えはどこかの
お笑い芸人よりうんと甘かった。

「あ、そ。あんま遅くなるなよ」

 呼び止めるどころか、返事はた
った二言だけ。しかも視線は下ら
ないテレビ番組に注がれていて、
こっちを見すらしていない。これ
はさすがに、あたしの中で『腹が
立つ』なんてレベルを通り越して
いた。

「圭介」

 静かに名前を呼ぶ。

「何だよ」

 まだこっちを向かない。

「別れよっか」

 やっと、彼はあたしを見た。

「何、言ってんの?」

 驚いた表情。途切れ途切れに発
せられる、言葉。どれもこれも、
今更過ぎるよ。

「圭介のこと判んないよ」

 声が震える。目頭が熱を持って
いくのが判った。今泣いたらダメ
だ。泣くのはせめて、ここを飛び
出してから。

「……じゃ、行ってくる」
「おい!」

 すぐさま踵を返して玄関に向か
い走り出す。背後で呼び止める声
が聞こえたけれど、もう遅い。あ
たしは部屋の扉を抜けると、闇の
深い街を駆け出していた。
 きっと追いかけてはくれないだ
ろう。けれど、もし追いかけてき
たら? 万に一つの確率で、あり
えたとしたら──……?
 あたしはジーンズのポケットか
ら携帯を取り出し、リダイアルか
ら『湯浅慎一』を選んだ。

「もしもし、真弥?」

 舌足らずな声が耳に届く。慎一
独特の人を落ち着かせる声。あた
しは思わず安堵の息を洩らした。

「ごめんね急に。急ついでに……
今、暇?」

 さっきもそうだけど、家から一
番近いのが慎一だということ、無
意識に意識していたに違いない。
咄嗟のくせにしっかり計算してい
る自分を、嘲笑ってしまった。

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