短篇

□明るい未来
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 どうして、陽平が。
 現状を把握してなおそう思う。
理解し、受け止めはしたものの、
納得できていない私には我が子を
慰める言葉ではなく、この状況に
対する悲嘆や遣る瀬ない感情しか
浮かんでこなかった。

 陽平が失明した。

 大学の入試を目前に控えた我が
息子の身に起きた、不幸な異変。
 突然のことだった。自室で勉強
していた陽平は唐突に襲った眠気
を覚ますためにコーヒーを飲もう
と、キッチンへ降りようとした。
その際、階段から落ちてしまった
のだ。私は慌てて駆け寄った。膝
を擦った以外には外傷らしい外傷
は見受けられなかった。しかし、
陽平の口から信じられない一言を
聞かされた。

 ──何も見えない。

 陽平は確かに言った。目が見え
ない、と。すぐ病院に連れて行っ
たが原因不明だと言われた。入試
に対するプレッシャーからきた心
因性のものかも知れないとも、そ
の医者は言った。志望大学に合格
するため、周りが見えなくなるま
で勉強に打ち込んでいた陽平。文
字通り、何もかもが見えなくなっ
てしまった息子に対し、それはま
るで皮肉のようだと思った。

「母さん」

 目隠しのように包帯を巻かれ、
白く大きなベッドに横たわる息子
が私を呼んだ。涙声を悟られない
よう短く返事をする。陽平は吐息
で苦笑し、一度深く息を吸いこん
だあと、言葉を続けた。

「俺、目が見えなくなってから、
今まで見えなかったものが見える
ようになったんだ。結構びっくり
した。見えなくなったお陰で……
って言うと変だけど、小さな音と
か、微かな匂いとかさ、そういう
些細なものに気付けるようになっ
た。太陽だって眩しいものじゃな
くてあたたかいものに感じる。目
で感じていたものを、肌で感じる
ことができるようになったんだ。
これってすごいことだと思うんだ
よ」

 口の端に微笑みを浮かべて話す
息子に、じっと耳を傾ける。両目
からとめどなく涙があふれた。
 陽平は一旦黙り込み、少し間を
置くと意を決したように言った。

「母さん。俺さ、隠してたことが
あるんだ。実は、ずっと物書きに
なりたいと思ってて……だけど、
そんな不安定な職業で食べてける
はずないから諦めてた。でも今、
いろんなものを、よりリアルに感
じるようになった。……そしたら
体の底から言葉があふれ出して止
まらなくなったんだ。俺が感じて
いることを実際に言葉にして、た
くさんの人に感じてほしい。本当
の世界は、もっともっと素晴らし
いものなんだ、って」

 私は息子の夢を、うんうんと相
槌を打ちながら聞いていた。生き
生きとした様子で思いの丈を語る
陽平。夜が更けても机に向かい、
私には判らない数式や遥か昔に使
われていた言葉などを、ただ黙々
と書き連ねていた姿からは想像も
できないほど活力に満ちあふれた
表情だった。そんな我が子を見て
夢に反対する親が何処にいる? 
私は陽平が人生に絶望することな
く、まっすぐ未来を見据えてくれ
たことがただ純粋に嬉しかった。

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