短篇

□ミズイロノマチ
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 私は昔、水色の街に住んでいた
ことがある。
 空も、海も、川も、空気も、街
並も、雰囲気も、街の人も、全て
が水色の街に。
 私はその街で、水色の空気を吸
い、水色の海や川で獲れた魚など
を食べ、水色の街の人たちと共に
暮らしていた。
 毎日が充実していた水色の街。
 それは、今はもうどこにもない
街。

 水色の街は突如としてその色を
変えた。
 灰色の心をした人間が、水色の
街にやってきたのだ。
 水色の街はたちまち灰色の街に
なった。
 空は排気が、海や川は廃水が、
街並は整然と立ち並ぶ工場が、雰
囲気、そして街の人はそんな事実
が、全て灰色に変えてしまった。
 水色の街で暮らしていた私は、
水色の街を失った。
 だから私は唯一残った、水色の
心を持って灰色の街から去った。
 どこか別の場所にあるはずの、
水色の街を求めて。

 

「それから至る所を探して歩いた
わ。でも、どこにもなかった。ど
こもかしこも灰色の街だらけで、
水色の街は、なかった」

 唇を噛みしめて、目を伏せて、
見るからに悔しそうな表情。彼女
はいつもそういう顔をして、この
話をしてくれていた。
 彼女の気持ちが判らないわけで
はないが、考えてみれば判る話で
あった。高度経済成長の最中で、
拡大した企業がおのおのの工場を
各地に建設した。それも、のどか
な田舎町にまで。それだけのこと
である。なんてことはない。
 しかし、それはあくまで事実と
しての歴史上では、の話だ。その
陰に多くの哀しみがあっただろう
ことも、容易に想像できる。多く
の人々が家庭を、生活を、平和に
築いていたところに突然やってき
た『灰色』のものたち。『水色』
の人たちは、『水色』の彼女は一
体どんな気持ちでそれを見ていた
のだろうか。止めることも叶わず
『水色の街』が消えていく様子を
見ていることしかできなかった彼
女たちは。

「なあ、応えてくれよ」

 もう何度口にしたか判らない呟
きは、その答えを得ることなく部
屋の隅に消えていった。真っ白い
部屋。薬品の匂いが染み込み、定
期的に機械音が虚しく響き渡る、
病院の一室。
 二年も前の話だ。彼女は交通事
故に遭った。新月の晩、街灯のな
い夜道で、酒気帯び運転をしてい
たサラリーマンにはねられてしま
った。不幸中の幸いで一命は取り
留めたものの、彼女には後遺症が
残された。
 彼女は、植物人間になってしま
ったのだ。
 身寄りのない彼女を引き取った
俺は動かない彼女を介護する日々
を送る。彼女は呼びかけに応えて
くれないどころか、目を開けてす
らくれない。安らかな顔で両目を
閉じたまま、ベッドに横たわって
いる。その様子を見ては、あの話
を、悔しさににじんだ表情で話す
ところをもう一度見たいと願って
しまう。

 俺と彼女の出会いは孤児院だっ
た。きつい代わりに高収入である
孤児院でのバイトの求人を偶然知
った俺はすぐに申し込み、雇って
もらえることになった。
 孤児院といってもそこは身寄り
のない人が入る場所で、当時大学
二回生だった俺とさほど変わらな
い歳の人間もいた。その内の一人
が彼女だったのだ。歳が近かった
からか俺たちはすぐ打ち解けた。
お互いのことをたくさん話した。
 俺は大学進学の際に親元を離れ
て一人暮らしを始めたこと。でき
るだけ負担はかけまいと、自分で
生活費を稼いでいること。そのた
めにこのバイトに応募したこと。
 彼女の方は両親が離婚するとき
厄介者扱いされてしまったので、
自主的にここに入ったこと。ここ
での生活を割と気に入っているこ
となど、本当にさまざまなことを
話した。
 言うなれば金目当てで始めた仕
事であったが、彼女に出会ったこ
とで何かが変わった。そして、こ
れは後──といっても、今よりは
前──に彼女に聞いたことだが、
彼女の方も、俺と出会ったことで
少しずつ変わっていったらしい。
出会うべくして出会った俺たちは
さも当然のように惹かれ合った。

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