短篇

□MAZE
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「どうしたことかしら、本当に判
らないのよ」

 近所の喫茶店に呼び出されたの
がおよそ二十分前。目の前でただ
訳もなくストローをいじっている
女は、大人になった今でも付き合
いのある幼なじみの一人だった。

「そんなもんさ。『愛している』
と言った次の瞬間には『殺してや
る』と思っている。それくらい、
愛憎というものは紙一重なんだ」
「でも……ああ、どうしてあんな
ことをしてしまったのかしら」

 此処で向かい合ってからずっと
女はこの調子である。いくら慰め
てやっても女は自分の世界に閉じ
こもって抜け出してはこない。勘
弁してくれ、と思った。勘弁して
くれ、俺は暇じゃない。

「何を悔やんでいるんだ。憎くて
やったのだろう」

 そう言った俺を女は複雑な色を
湛えた瞳で見た。

「確かに、そのときは憎くて仕方
がなかったわ。でも今は違うの。
つい、魔が差してしまったのよ」

 ああ、なんてことなの。そう言
うと女はテーブルに突っ伏してし
まった。その様子を、俺は腕組み
をして眺めていた。
 ──ばからしい。
 俺には同情でも憐憫でもなく、
侮蔑の情しか湧いてこなかった。
自分の愛する男──そいつは女の
幼なじみであり、俺の親友でもあ
った──を殺しておいて、今更嘆
くなんて。魔が差そうが何だろう
が、女が殺したという事実に変わ
りはない。俺の親友を殺したこと
に、変わりなどないのに。
 いつの間に降り始めたのか、外
はどしゃ降りになっていた。そう
いえば天気予報で通り雨がくると
言っていたような気がする。傘を
忘れたらしい女子高生が二人、文
句を言いながら店に入ってきたの
を見て、この雨が上がる頃には解
放されるだろうか、そんなことを
ぼんやりと考えた。

「私は、死刑になるのかしら」

 俺の思考を遮った女の呟きは、
今まで以上に陳腐なものだった。

「ならないさ。日本は簡単に死刑
を執行するような国じゃない」
「そうね、大丈夫よね」
「大丈夫だ」

 言いながら、こういう奴がいる
から小競り合い程度の事件が増え
ているのだろうなと、まるで他人
事のように思った。
 人を殺しておきながら、自分は
死刑になりたくない。なんと人間
らしく馬鹿馬鹿しい心理なのか。
しかし罪人はその罪と同等の罰を
受けるべきだという被害者に対し
皮肉にも加害者に与えられる罰は
軽い。だから人は簡単に、何度も
罪を犯す。食べるために動植物の
命を奪うのと同じように、本能の
まま動いてしまうのだ。
 降りしきっていた雨は徐々に勢
いを失い、小雨を経て完全に止ん
でしまった。すると女は突然すっ
きりとした表情で立ち上がった。

「雨も上がったし、そろそろ帰る
わね」
「帰るのか」
「ええ。もう少し一人で考えてみ
て……これからのことは、そのあ
と考えるわ」
「そうか」
「ごめんなさいね、呼び出したり
して。とても助かったわ、本当に
ありがとう」

 軽く頭を下げて伝票を掴むと、
女はレジへ向かった。会計を済ま
せ、雨上がりのきらきらと輝く街
並に溶け込んだ女が、軽やかな足
取りで帰路についたのを見て──
腹の底から、笑いが込み上げてく
るようだった。

「雨に洗い流してもらったつもり
か」

 その手にこびりついた血を。そ
して、犯してしまった罪を。

「お前は知らなかったようだがな
──男というイキモノは、愛情な
んかより友情を大事にするものな
んだよ。女とは違ってな」

 喉をくつくつと鳴らして笑いな
がら、携帯電話を手に取る。

「判らないのなら彷徨えばいい。
時間ならたっぷりとある」

 もちろん、それは薄暗い牢獄の
中での永い時間ということになる
が、それが俺から親友を奪った女
への罰となるのだ。

「果てのない迷路で、彷徨え」

 そして俺はゆっくりとした手つ
きで1を二回、0を一回押して、
耳にあてた。


           【了】 



■ 奥付 ■□■
部誌『紋』第二号掲載
発行≫2005/05/24
御題≫『ツイ』『アガル』
   『カエル』(漢字変換可)


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